2009年08月14日

巌流さんの話(その1)

 巌流勝雄(がんりゅう・かつお)。
 身長179センチ(目測)。
 体重75キロ(目測)。
 ダブルのスーツを着ることが多く、髪はパンチパーマだ(天然らしいが、見事なパンチだ)。
 ひどい近眼らしいのだが、眼鏡はかけていない(家ではどうなのか知らない。外ではコンタクトレンズを使用しているのだろうと思われる)。
 元船乗りで、アイスホッケー選手(アマチュア)。
 ブラスバンドでトランペットを吹く(本当は、川べりで夜空に向かってソロを吹くのが好きらしい)。
 結婚歴は数度あるが、今は独身である。

 巌流さん(以降、慣れ親しんだ名前で『ガンさん』と呼ばせていただく)の身に異変が起こったのは、2000年の夏だったと記憶している。
 俺とガンさんは仕事上のパートナーだったのだが、俺らを繋ぐ役割だった映子から、ひどくうろたえた口調の電話が来た。
「ガンさんが……ガンさんが……」
 まるで要領を得ないので、落ち着かせるのに手間取った。
 どうやらガンさんが、通勤途中に急病になり、入院しているのだと言う。
「上の人らには連絡したのか?」
「まさか! 高木さんに最初に電話しています」

 俺はこうして映子がしばしば、ものの順序を間違えるところを、内心、可愛らしく思っていた。

 俺はボスの部屋へ行き、今聞いたばかりの情報を伝えた。
「私は何も聞いとらんな」というのがボスの答えだった。
 別に冷たい人間というわけではない。

 俺はボスがそうやって常に、ものの順序を尊ぶところを、常々、尊敬していた。

「さっそく、行ってこようと思うんですが」
「どこへだ?」
「巌流さんが入院したという病院へですよ」
 少々、いらついた。
 ボスは財布を開き、何枚かの札を取り出して俺に差し出した。
「思ったより入っていてよかった」と、真顔で呟いた。
 つまりは、出張の稟議など諮っていては時間がかかるということを、ボスも重々判っていたのだ。

 俺はそのまま(まるでその足で。そうすることがクールだと思ったのだ!)会社を出て、札幌駅から空港行きの快速電車に乗った。

 逆向きになるだろうに、映子は羽田空港で待っていてくれた。
 俺は非常に腹が減っていたが、それを言うと、映子に怖い目で睨まれた。
「まずはガンさんのところへ急ぎましょう!」

 俺らは京浜急行に乗り込んだ。
 ガンさんが入院しているのは、千葉県の某病院だった。
 千葉のその駅までは遠かった。
 映子が予めルートを計算してくれていたので、それでも最速で着いた。
「病院は、駅から徒歩三分です」と映子は言った。「高木さん、さっきはごめんなさい」
「何が?」
「えっと……あたし、おなかがすいちゃいました」
 俺らは駅から一番近い回転寿司の店に入り、手っ取り早く詰め込んだ。
 映子がヒラメのエンガワとか、ハマチとか、俺があまり好まないネタをたくさん食べるので、その話題(というかむしろ軽い口論)になった。
 そういえば、おでんの場合も、映子はチクワブなど、俺には理解できないネタが好きなのを思い出した。

(あれ? 俺は何しに来たんだっけ!)

 ガンさんは、ウッディーな羽目板で囲われた、昭和風の個室で、ベッドに半身を起こしていた。
 両腕や、寝間着でよく見えない箇所から、いろんな管やコードが伸びていて、地味なデザインの機器に繋がれている。
「ガンさん! どうしたよ」と俺は聞いた。
「ふっふふ。まるでルーターだろ?」
 ガンさんは、そのギャグがよほど気に入っていたらしく、言う相手を求めているのが丸わかりだった。
 俺と映子は、ミネラルウォーターや、当たり障りのなさそうな果物などを少しだけ見舞いの品として携えていたが、ガンさんはそれを一瞥すると、
「エーコ、頼んでいいか?」と言った。
「はい」
「あのさ……俺、コーラが飲みてえんだ」
「あ、気がつかなくてごめんなさい」と映子は一度言ったが、「でも、もしかしてコーラなんて、禁止じゃないんですか?」
 俺もそう思った。
 なにせ、全身に管と電線を点けられた、青ざめた男だ。
「禁止なんかじゃねえよ。ただ、駅前まで行かないと売ってないんだ」
 ガンさんは俺と映子のどちらへともなく、
「その戸棚の、一番上のひきだしを開けてくれ」と言った。
 俺の方が近かったので開けると、札や小銭が雑然と散らばっていた。
「お金なんて、いいです!」と、映子は向こう気のような口調でそう言うと、病室を飛び出していった。

「高木よ。こんどはおめえに頼みがあんだけどさ」
「何ですか」
「まずそこの、エーコが開けっ放しにしてったドアを閉めてくれ」
 俺は言われたとおりにした。
 何か、秘密の話でもあるのかと思った。
「ガンさん……結局どういう病気なのさ」
「なあに……通勤途中で車運転してたら、急に目の前が薄暗〜くなってよ、胸は苦しいし、必死で車を路肩に停めてさ……」
 ガンさんはその頃、左ハンドルのBMW3シリーズの何かに乗っていた。
「で?」
「覚えてねえんだよ」
 それ以上詳しくは聞けなかったが、心臓の病であることは判った。
「高木、煙草出せ」
「出すのはいいけど、まさか」
「いいから出せ」
 俺は言われた通りにした。
 俺はその頃、マイルドセブンライトを吸っていた。
「やわなの吸ってんな」とガンさん。「俺の口にくわえさせろ」
「それはまずいんじゃね?」
「いいから言われた通りにしろ」
 俺は言われた通りにした。
 そこからは、言いなりにさせられた。
 ガンさんは、
「おし。次はライターを出せ」と、煙草をくわえた口で言った。
 俺がそうすると、
「貧乏くせえライター使ってんな」と言った。
 次に言うことは想像がついたので、俺は言われる前にそうした。
 つまり、ガンさんの煙草の先に火を点けた。
 そのうえ、ガンさんが一服するたびに、俺の手で煙草をつまんで唇から離してやった。
「ああ……うめえなあ」とガンさんは言った。「そこにコップがあるだろ?」
 ガンさんの個室には、小さなキッチンがついていて、ぐい飲みみたいな湯飲みがあった。
「水を入れて……ああ、しゃべるのがめんどくせえ」
 俺はぐい飲みで即席の灰皿を作ってガンさんの腹の上あたりに置き、自分でも一服つけた。
「煙草、うまいね」と俺が言うと、ガンさんは目を細めた。

 映子がコーラをぎっしり詰め込んだコンビニの袋を持って戻ってきたのがその時。
「あんたら何してんの!」
 映子はコーラを袋ごと床に投げつけると、俺に向かってきた。
 とがった拳でみぞおちを突かれ、つけ爪つきの平手で顔を張られ、とがった靴の先で脛を蹴られた。
 言うまでもなく、標的になったのは俺だけだった。
 映子はわんわん泣き出しながら、まだ暴力を続け、俺はなんとかそれをかわすのに精一杯。
 ガンさんは、楽しい芝居でも観るように、ニコニコ笑っている。

(つづく)

このブログ風読み物はフィクションです。
実在の人物・団体・商品・店名などとは関係なく、
ストーリーも全て架空のものです。

posted by TAKAGISM at 15:42| Comment(0) | 雑感
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