2009年08月15日

巌流さんの話(その3)

 俺は一度札幌に戻り、見た限りのことを、ボスに報告した。
 けど、ニクいことがあった。
 俺と映子が千葉の病院を去り、上野で焼肉を食っているころ、ボスは、紐だらけで寝ているガンさんの寝姿を、見下ろしていたんだ。
 そして俺が翌日の15時ごろの飛行機で帰り、19時にボスの部屋で「報告」を行ったとき、ボスは俺より2時間以上早く、会社に戻っていた。
 かないっこない。

 映子はそれから、会社の仕事はこなしつつ、合間を見ては千葉へ通っていた。
(愛すべきガールフレンド、accoの地元の松戸だ)
「高木さん、今度はいつ来ます?」と映子が言うので、
「死にかけたときか、元気になりそうなときにでも」と答えると、映子はまた怒った。
「お見舞いって、そういうもんじゃないでしょう」と言うので、
「じゃあ、どういうもんだってんだよ」と、電話で口論した。

 2週間も放置したかもしれない。
 とにかく、松戸へまた、行くことにした。
 映子は今度はさすがに羽田空港までは来てくれず、東京駅で待ち合わせた。
「田舎くせえ川だの橋だの、よくもこんなに渡るもんだな」と憎まれ口を言ってやった。
 映子は何か口答えでもするかと思ったんだったが、なんだかウルウルしたような目で、電車の窓の外に目をやるばかりだった。

 ガンさんの部屋に、ガンさんはいなかった。
 映子は、きっとした顔になり、看護婦さんの詰所に向かおうとした。
 俺はそれを止めた。
「裏庭があるよな」
「あります。おおきくて、草がボウボウなんです」
「そこでまた、一服じゃないのかな」
「!」
 俺たちは病室を出て、裏庭に回った。
 そろそろセミも、弱りかけているような鳴き声で。
「セミも、おしまいに近い」と俺が言うと、映子は、
「縁起でもないこと! 高木さん、ほんとにそういうとこ、センス悪い!」と、また怒った。
 けれど、裏庭のうっそうとした遊歩道には、ガンさんどころか、年寄りの一人もいなく、残暑の、ムシムシした空気だけが、固まりのように滞っていた。
「ここにはいないな」と俺が言うと、映子も、
「絶対にいない。こんなところにあの人は居られない」と言った。
 映子が詰所の看護婦長さんに相談するというので、
「それだけはちょっと待てよ」と言った。
「どうしてですか?」
「いくつか理由はあるけど、まずは、病院に迷惑がかかるだろ」
「じゃあ、どうすんの?」
「あまりに暑いので、俺はアイスコーヒーを飲みたいんだ」
「飲んだら考えが出ます?」
「出る。出る。きっと出る」

 ドトールコーヒーショップだったと思うが、たよりないアイスコーヒーを飲んでからも、実のところ俺にはいいアイデアは浮かばなかった。
 映子は、
「夏はホットです」と言いながら、おそらくはあれも薄っぺらいコーヒーを飲んでいた。
「脱出しちゃったんでしょうか?」
「脱出?」と言いながら俺は、タバコが残り2本になってることが気がかりだった。
「ですから、巌流さんのことだから、病院を」
「かもしれないな」
「あのね? あの、どうして高木さんってそうして、なんでも放り出すの?」
 映子が言った台詞は、言い過ぎ。
 俺は仮にも彼女の上司であり、そのころはイケているクリエイターってことになっていたんだ。
 だから、少し、わざとらしく黙ってみた。
「ごめんなさい」
「おまいさんの『ごめん』は、インフレだな」
「?」
「やたらと出るけど、安目だな」
 どう通じたか判らないが、俺は意地悪くゆっくりと間を取ってタバコに火を点け、ほんとは胸が痛いんだけど、深々と煙を吸い込んで、吐いた。
 俺らがいたのは、ドトールの二階の窓辺の席だった。
 で、俺は見た。
 ロータリーとも言えないくらいの小さな駅前の、ちょうど向かいにある店――つまりはラーメン屋の暖簾の奥に、ちょっと異様な、白と水色の縦縞の服――もっと言うなら、それは、浴衣さ。
 胸の中で、なんだか金色っぽいドキドキが湧き起こった。
「見つけたよ」「何を?」「海に溶けていく太陽を」……というのは嘘。
「何を?」
「行こうぜ」
 映子は俺の顔を見て、手許を見て、知ったような顔で言った。
 そんなところも可愛いんだけど。
「タバコが切れたんでしょ」
 俺は答えず、トレーを片付けて、階段を下りた。
 映子は黙って着いてきた。
 信号もないような道を横切り、紺色の暖簾に向かった。
 映子はもはや、わめいたり苦情を言ったりはしなかった。
 暖簾をさっとのけると、半分だけ開いたガラス戸の奥から、
「いらっしゃいませ」と、律儀な声が聞こえ、きっと鶏ガラなんだろうと思われる、上品な香りがした。
 はっとした顔をしたのは、精悍な顔つきの店主だった。
 そこは素敵なラーメン屋さんだった。
 丸まった背中は、白地に青線の浴衣。
 2メートル近いスタンドにぶら下がった、黄色と透明の点滴。
 点滴スタンドをガラガラと引きずりながら病院を抜け出し、ガンさんは、当然のことながら禁忌とされていたラーメンを食いに、その店に来ていたわけだ。
 スープと麺にムチュウなのか、それとも知らんぷりなのか、ガンさんは背中を丸めたまま。
「おいしそうだね!」と俺は言った。
 決して怒鳴ってはいないさ。
 ガンさんは、案外とゆっくり、俺に振り返って、
「へへへ。よく見つけたな」と言った。
 俺と映子がどうしたか?
 ガンさんの隣に俺が、その隣に映子が座って、ラーメンを食った。
 加えて言う。
 ガンさんは、おかわりを食った。
「管やヒモがじゃまで、すげー、食いづらい!」と、何を罵っていたのだか。

 ラーメンは、夢心地にうまかった。
 勘定は、ガンさんが払った――というか、あらかじめ1万円ほどを預けていたそうだ。
「俺がそんだけ食う前に死んだら、釣りはいらねえから」って。
 でも、正直、店主はそんなシャレを喜んではいなかったもよう。

 共犯者。
 共犯者って、怖い言葉だね。

 で、ガンさんはその後どうしているかっていうと……仕事はほとんどリタリアして、ラーメンの評論家になっている。
 加えて言えば、評論家である自分に飽きたらず、店をやろうと思っているらしい。
 さらに加える……。
 知れば知るほど奥が深くて、
「こればっかりはさ、高木よ。資本だの、半端な修行で始められることじゃないぜ。ラーメンは、ビジネスなんかじゃないんだよ。恐ろしいほどの『道』さ」

 だので、巌流勝雄のページの、おいしそうなURLを載せておく。
 ただし、注意!
 小腹が減った夜には、読まない方がいいと思う。

 http://ameblo.jp/oomori/entry-10319195759.html

(おわり)

このブログ風読み物はフィクションです。
実在の人物・団体・商品・店名などとは関係なく、
ストーリーも全て架空のものです。

posted by TAKAGISM at 01:13| Comment(0) | 雑感
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