2009年08月22日

巌流さんの話(その4)

 巌流さんから電話。

「錦糸町に何分で来れる?」

「すぐ出ます。30分くらいだと思いますよ」

「わかった。俺はまだ汐留なんだ。適当に時間を計って来てくれよ」

 

 調べると、こっちも徒歩を加えると45分くらいはかかってしまうと判った。

 不忍通りへ出て、車を拾った。

(それにしても、なぜ錦糸町なんだ?)

 

 巌流さんは遠くから見ても判った。

 なんだか身長も大きくなったようだ。

 肩にジャケットを引っかけている。

「巌流さん、お久しぶり! 荷物は?」

「ああ。部下に持たせて帰した」

「お久しぶりです」

「うん」と巌流さんは俺を見下ろし、ぷいと横を向く。

 キオスクだ。

「ラーク・スーパー・メンソール・ウルトラ・ライトのチョン・ワン……いや、それじゃない。そう、それ」と指示しながら、ポケットから小銭を出す。

 巌流さんらしい、久々の挨拶だ。

「錦糸町とは珍しいね」と俺は言った。

「うん。高木さん、肉、食おうや」

 

 巌流さんはステーキハウスに案内してくれた。

 俺の知る限り、ロドリゲスらと行った、ビバリーヒルズの一流レストランの次くらいにゴージャスだった。

 店はすでに一杯で、老若男女が食事を楽しんでいる。

 ぴったりした黒いベストを着込んだウエイターが現れて、うやうやしいお辞儀をした。

「高木さん、まず何が食いたい?」と巌流さんが言うので、

「野菜不足ぎみかもしれない。サラダが欲しいな」

「じゃあ、あれだ!」と巌流さんはウエイターに向き直り「ほら、らっきょのサラダがあったよな」と言った。

「はい。エシャレットのビーンズペースト添えですね……」

「つまり、らっきょのもろみ和えだろがよ。な。あんまり気取るなよ。な」と少し凄みを効かせるが、巌流さんは、下品ではない。

「……はい、ではエシャレットを」

 巌流さんが選んでくれたワインは「ヴァイスールウメシュキー(メモっておけばよかった)」とやらいうやつで、東欧のものらしいが、珍しい瓶だ。

「こちらで、よろしいでしょうか?」とソムリエがラベルを見せ、巌流さんがうなずく。

 大きなグラスに、テスト用の一口が注がれる。

「あ〜、これだ。夏の味だ。お客様にさしあげて!」と巌流さんはにっこりする。

 これがまた、やたらとうまかった。

 

 巌流さんは、

「今日はちょっと贅沢してみようと思うんだ」と言って、ステーキにフォアグラを添えることにした。

 俺は牛の胸腺(だと思う)のグリルを頼もうとしたが、売り切れだったので、巌流さんに倣って、フォアグラを添えてもらうことにした。

 いろいろ話しながら、ヴァイスールを飲んだ。

 途中で巌流さんはウエイターを呼び、臓物のシチューを追加した。

 シチューは最高だった。

 巌流さんはウエイターにカイエンヌペッパーを注文し、俺もついでにカラシを頼んだ。

 まあ、一流の店では《マスタード》とか、言ってみる。

 素晴らしいディナーだった。

 

「次は新小岩だよ」と巌流さんは言い、タクシーを停めようとした。

 俺は、

「昔はどんな時だってタクシーでなくちゃ動きたくなかったのは、僕だけどさ。新小岩は電車ですぐですよ」

「ああ、高木さんがそう言うなら、それは節約になるね」

 

 巌流さんと俺は、総武線に乗り、川を渡って新小岩で降りた。

「今度はどこへ案内してくれるの?」

「老舗の蕎麦屋に顔を出したいんだ」

「俺、ちゃんと帽子は取るから、そこは心配しないでね」

「高木さんに関して、そういうことで心配したことはねえよ」

 新小岩の駅からはタクシーに乗り、ある路地で降りた。

 直前に電話しておいたせいで、店主が路上で待っていてくれた。

 巌流さんはタクシーを飛び降りて店主と握手し、旧交を温めている。

 俺はワンメーター分の車代を払った。

 

 蕎麦屋は素敵だった。

 獅子舞みたいな素晴らしい歯並びの店主が、巌流さんをずっと見ながら笑っている。

 色白のおかみさんも、

「ガンちゃん、ガンちゃん」と繰り返しながら、嬉しそうに笑っている。

 巌流さんは生ビールを二人分、まず注文してくれたが、俺はイタズラ心を出し、

「お酒を頼んでもいい?」と言った。

「ああ! お好きなように!」

 おかみさんが品書きを開いてくれた。

 俺の大好きな高清水があったので、頼んだ。

 最後に蕎麦で〆るのを前提に、天ぷらやら玉子焼きやら頂いた。

 途中で、巌流さんは少し不機嫌ぽくなった。

 俺に対してではないようだが、しきりにローレックスに目をやる。

「まだ仕事が残ってるのかい?」と訊いた。

「いや。そうじゃないんだ……」

 と巌流さんが言ったその時、店の戸がガラガラと開いて、細面の若い男が暖簾から顔を突っ込んだ。

「おう!」と巌流さんが声をかける。「おまえが少し遅いのか、俺たちが少し早かったのかは、別問題だ」

 巌流さんはたまにそうした《論理的な言葉》を言う。

 若い男は小振りな段ボールを手に入ってきた。

「これは、大将とおかみさんへのお土産。俺、非力だからさ。おうちゃくして個人的宅配しちゃった」

 箱の中には、生キャラメルとか、ホッケの干物とか、毛ガニなどが詰まっていた。

「ガンちゃん、気をつかいすぎだって!」と言いながら、店主も嬉しそうだった。

「あたしまだ、食べたことがなかったの。この、生キャラメルっての?」

 その間、荷物を届けに来た若者は立ち尽くしていた。

 俺はそれがすごく気になっていた。

 巌流さんは少し意地悪というか、差別的なところがあるので、たっぷりと彼を立ち尽くさせておいてから、

「じゃあみんなで、せいろをもらおうかな」と言った。「あと、この若い衆に、何か飲み物をやってください」

 若者はけっこう気が利くタイプかと思った。

 もっとも、巌流さんの下では、そうでなければつとまらない。

 俺たちの飲み残した生ビールのジョッキと、俺の高清水、そして巌流さんの焼酎(それは普通、水にしか見えない)に目を走らせた。

「焼酎を水割りでいただけますか」と若者は言った。

 

 せいろは、最高だった。

 最初から大盛りで頂くべきだった。

 

「巌流さんの宿はどこ?」

「んー」と、なんだかあいまいだ。

 俺を少し押しのけるような仕草をしながら、紹介もしてくれなかった若者に車代らしきものを渡している。

 若者は、やってきた車で、去った。

 

「高木さんにも、タクシー代を返さなきゃ」

「まさか! こんなにご馳走になったのにさ」

「いや。危険だな……。タカギトシミツは平気で書くから」

「何をだよ」

「『その日は巌流のおごりでステーキと蕎麦を食った。でも俺は、タクシー代を払わされた』って」

 で、俺はその通り、書いているわけだ。

 ああ、ちゃんと修正しなければいけない。

 巌流さんは、いくらだか判らない小銭を、俺のジーンズのポケットに押し込んだ。

 男同士にしては、少し性的な行為だと思う。

 

「高木さん」と巌流さんは言った。俺たちは車を拾うのには少しもったいない感じで、路地を歩いていた。「女にはモテてる?」

「巌流さん」と俺は言った。「さっきは、若い衆の前で、どこへ泊まるとやら、野暮を言ったかな」

「ああ。それは気にしないでくれよ。つまり、俺の言いたいのは……」

 て、言いながら、間が長かった。

「いっつも人の話を遮って嫌われるんだけどさ、俺は。でも、巌流さんが言いたいのは、女の人のことだよね」

「お見通しだわ」

「で、うまく行ってるの?」

「うまく行くのかどうか、今これから試したいと思ってるのよ」

「きっとうまく行くよ」

「だといいけど……。でも、高木さんは俺の質問に答えていないよ」

「何が?」

「モテてるかどうか」

「あのね……それ、ほんとに不思議なんだ。『ああ、俺は自分のかみさんのことが一番好きだなー』とか思ってると、これがまた、やっかいにモテるんだ」

「ホルモンのせいだろ、それは」

「そんなもの、実在するのかね」

「俺は、あると思うな」と、巌流さんはタバコに火を点けた。「一服ずつして、ここで別れるか」

「そうしましょうか」と、俺も一服点けた。

「高木さん……」と、巌流さんは、呼称だけはいつまでも敬語なんだ。「男と女はホルモンだよ。一生、そうだと思う」

「少し研究してみるよ」

「人生ってよ、きっと『ホルモン道場』ってことさ」

「かもしれないな。研究してみるよ」

 

 巌流さんは黒い車を捕まえ、俺は黄緑色の車を捕まえた。

 

 巌流さんとは、いつだって会いたいと思う。

posted by TAKAGISM at 01:30| Comment(1) | 事件
この記事へのコメント
巌流さんの話大好きです。ぜひ機会があれば、またお願いします!!
ちなみに錦糸町のステーキハウスがとっても気になるです!はい!
Posted by nia at 2009年08月23日 09:51
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