2010年10月24日

レイキュウの話【001】

 目の前にあるこの不細工な果実が、それのために、人がいがみ合ったり傷つけ合ったり、ついには殺し合ったりするようなものだとは、とても思えないんだよね。

 だけれど実際、井下さんが死んだのには、これが遠因になっていると言えるし、あれはただ死んだというより、殺されたというほうがあたっている。

 サンチョはあれっきり姿を消しているし、愛子もどこにいるかわからない。

 会社がひとつ潰れ、職を失った人も数多い。

 職を失えば、離散する家族もいるわけで、そうすると、どれだけ多くの人にこの果実が迷惑を及ぼしたか、その結果は、そう簡単には計算できないのではないか。

 それがなぜだかけっきょく、俺のてもとにある。手の中にある。厳密にいうと、手の中にあったそれをテーブルに置き、俺はこうしてMacのキーを打っているわけだが。

 きっかけは、林衆民(りん・しゅうみん)だ。

 台湾出身のこの男が、焼肉屋の個室で、ついうっかり、

「ぼくのじいちゃんの持っている山に、レイキュウができるよ」と言ったのが発端だ。

 山ほど焼いて食った安物の肉もみんなが飽きてきた頃、一番奥の席から、そう言い放った。

「いま、何て言ったの?」と井下さん。

「レイキュウ」

「うそだそれあ。わるいけどうそ。ありえない」と、当年五十九歳、経理会計畑一筋の唯物論者、井下さんは言った。

「レイキュウは、ま、ないでしょう」と、肉をほおばり続けながら、サンチョが言った。

「レイキュウって何? なんなのよ」と言ったのは愛子だ。

 誰も答えない。

「でも、実際にあるから、オレは、あると言ったんだよ」と林衆民が言う。

 しばらく沈黙が流れた。

 場が、しらけたムードになった。

「まあ、そう、思うなら、思ってくださいよ。オレはじいちゃんからそう聞いたし、見たこともあるんだもん」と衆民は少し不平そうな口ぶりで。「ま、この話はやめようよ。台湾でもそうなんだよ。レイキュウの話が出ると、ヘンな感じになる」

「だからそれ、何なのよ」と、すでに箸を置いてひさしい愛子が、皆に向かって言う。

 誰も答えない。

posted by TAKAGISM at 06:46| Comment(0) | レイキュウ
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