2009年09月19日

合コン

 深夜に電話が鳴った。
 久しく会っていないB子だ。
「今、ゴウコンの帰りなのよ」
「ゴウコン?」
「そ。電車乗りそびれて、ちょっと歩いてんの」
 B子は30歳(その前後のはず)だ。
「ゴウコンって、あの合コンか」
「そ」
 B子はちょっと酔っているようだ。
 コツコツいう足音に混ざって、周囲の、若い奴ららしい声が聞こえる。
「どこなの?」
「新宿」
「どうすんのよ」
「タクシー拾うよ」
「新宿、どこ」
「ここ……甲州街道? あれ? 青梅街道?」
 B子は高円寺に住んでいるはず。
「早くクルマ拾え」
「いいじゃん。ちょっと歩きたいんだもん」
「合コンってのは、現存するんだな」
「え?」
「今どき、合コンってのが、あるんだなってことよ」
「あ〜」
 コツコツ……足音。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 合コンというのに、おらは、行ったことがない……と思いながら、思い出した。
 あれは、1986年か……バブルの時代か……。
 その頃勤めていた、リクルート・フロムエーの青山支店の先輩に、
「タカ、今日の夜は空いてる?」と言われた。
 思えばあれが合コンだったのかな。
 相手は、2009年の今、潰れそうな航空会社Jの女性5名。
 こっちは、江副氏が海賊のかっこうで運動会を催していたころの、リクルート、俺を入れて5名。
 どういうバランスなのかしれないが、よくもそういう会合があったもんだ。
 青山の、イタリヤ料理の店の、個室の、長いテーブル。
「おまえはとにかく、静かにしてろよ」と、先輩の杉山さんに言われた。「それと、今日のことは、会社では言うなよ」

 杉山さんと、松原さんは、J社の女性2名と、それぞれ消えた。
 おら、その頃、品川区大井町に住んでいたので、帰るのが大変。
 消えなかった先輩二人が、
「ギンパチ行くか」と言った。「タカギも来るか?」
 ギンパチというのは、銀座8丁目(新橋駅のそば)にあった(今もある?)真っ黒いビルで、リクルート・エイトビルとか、なんだかそういう名前のビルだった。
 先輩二人は社員証を示して、ギンパチビルに入った。
 おらは、なしくずし的に入った。
 ギンパチビルはそれなりの高層ビルで、上の方にはジムがあった。
 おら、先輩にくっついて、ジムに入った。
 すごいプロポーションの、きれいな女性インストラクターが、マンツーマン(マンツーウーマン?)で、ウエイトとかランニングマシーンを指導してくれた。
 ここは、どこか、どこなのか、と思った。
 かなり汗をかいたころ、二人の先輩が、
「俺たちは、銀座に出てみる。でも、おまえはこのまま泊まれ」と強制的に言った。
 泊まったのは、カプセルだった。

 目覚めると、ダイニングに朝食やコーヒーがあった。
 2009年の今と違う感じなのは、ミネラルウォーターのボトルなんて無かった代わりに、取り放題のタバコがあったことかな。
 料金というか、お金は一切、請求されなかった。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「で、出会いはあったのか?」と、B子に言った。
「出会い? 何が?」
「出会うためのもんなんだろ? 合コンてのは」
「あ〜、そうなの?」
「そうなんじゃないのか?」
「なんか、男の人たち、次のお店もなかなか決められなくて、ケータイのワリカン計算ソフト? で、『二千五百円通しでもいいですか』とかって」
「透明感があって、いいことじゃんか」
「でもなんか……」
 コツコツ……足音。
「で、なんで電話してきた?」
「あ〜、そういうこと言う?」
「いや、なんかあったかと思ってだよ」
「……あえて言えば……《ゴウコン》って言葉、何の略なの? あなたなら知ってると思って」
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2009年08月20日

LOVERS IN FAST FOOD RESTAURANT

 おととい、深夜に、デニーズで《ステーキみたいなの》を食った。

 1席空けてとなりに、若いカップルがいた。

 男の方は、剃りを入れた坊主で、だぼだぼの服を着ていた。

 女の子は、ほっそりしていて綺麗だった。

 でも《ステーキみたいなの》を持ってきてくれたウェイトレスの方が綺麗だった。

 だぼ君は、

「足立区ってよう、勉強はできないんだよ。でもほんとは、俺は勉強が好きだった」と、どういうわけだか、しっくりくる感じの台詞を言っていた。

 俺は、つい、やつを見てしまった。

 やつもこっちを見て、目が合った。

 でも、悪い感じにはならなかった。

 俺はおじさんらしくにっこりして、やつは軽い軽い会釈なんかして。

 女は、

「勉強なんか、意味ないじゃん」と言った。

 デニーズの《ステーキみたいなの》は、あんまり味がしなかった。

 俺は、nanacoで支払いをした。

 

 昨夜、深夜に、ペッパーランチで《ステーキみたいなの》を食った。

 1席空けてとなりに、若いカップルがいた。

 男の方は、汚く長い、変な色の髪だった。

 女の方は、まつげのエクステンションがすごくて綺麗で、少しながら俺の好みのタイプだった。

 しかし!

 ジュウジュウの《ステーキみたいなの》を持ってきてくれたウェイトレスは、となりのカップルのエクステ女どころじゃない――ちょっとドキドキするほど綺麗だった。

 ほんとだ!

 若返りたいと神に祈り、目頭が濡れた。

 ほんと、可愛い。

 あの、ジュウジュウの子。

 さて、それはまあ、いいさ。

 若返りは、無理だからな。

 で、俺の隣の汚髪君は、

「音楽ってさー、つまり、感性じゃん」と、女に向かって、真顔で言っていた。

 女は、

「えー! でも、やっぱ譜面とか大事じゃん」と言った。

 いい子だと思った。

 でも男は何を感じたんだろう――目の前の鉄板を乱暴に押しのけた。

 鉄板はかなり熱かったはずだ。

「あち!」と、うろたえていた。

 

 ぷぷぷ。

 

 でも、俺も失敗したんだった。

 鉄板の周りに巻かれた紙に、

「まずは鉄板の熱いうちにひっくり返して下さい」とやら書いてあるのに気付かず、ソースをかけてしまった。

 つまり、芯が冷たい生肉を食った。

 もやしの味しか覚えていない。

 

 今夜、そんな深夜ではないけど、すき家に行った。

 カレーと牛丼が混ざったような、やばいのを食うことになった。

 まあ、選んだのは自己責任だ。

 1席空けてとなりに、若いカップルがいた。

 男の方は、青白い小僧で、無駄な長髪だった。

 女の子は、まん丸い顔はよいとして、皮膚が不潔な感じだった。

 男は、

「司法試験は、つまりは入り口だから」と言った。

 女は、

「ふふふ……」と笑った。「ねえ、それより。おはし、ちゃんと持ちなよ」

 悪趣味と思いながら、見てしまった。

 男は、じゃんけんのグーを握っていて、小指の先から、それぞれ長さの違う箸が二本、突き出ていた。

 

*あ、タイトルはインチキ臭い英語だね!

 でも、単に僕が、毎夜、ファスト・フードを食ってて、その隣には、可愛らしい、若いカップルがいた、って話だね!

 そこんとこ、バンザイ。

 

*すき家で食ったものは、明け方までに全部吐いちまった。

 すき家のせいだとは言わない。

 相性の問題だと思う。

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2009年08月18日

うらぼんえ

 お盆の中のある日のこと。

 妻と娘がいない間、ちゃっかり借りている妻のベッドで、快適に眠っていた。
 エアコンは「除湿」の25℃で「静」がベストだ。
 26℃も悪くない。
 目覚めかけると(あるいは眠れずにいると――眠たくないのにベッドに入ることはないので、実際は、そんなことはあまりないのだが)、エアコンのサーモスタットがずいぶんとマジメに、着いたり消えたりしているのが判る。
 はじめの数日は妻の匂いのしていた薄い夏掛け布団も、すっかり俺の臭いになっちまっている。
 それを細長く丸めて、抱くようにして、寝てる。
 たまにはそれに、くるまったりもする。

 ヘソのあたりに当てていた掌の中に、丸くてふっくらしたものを感じた。
 すぐにそれが何か、判った。
 赤ちゃんの手だ。
 ゆーっくり、やさしく握りしめてみた。
 赤ちゃんの手は、俺の掌の中で、もぐもぐ動いた。
(なんていい感じなんだろう)と思った。

 耳元というより、枕元に立っている人の口元あたりの距離から、訳のわからない言葉が聞こえた。
 声の主は女性で、三十代の半ばくらいと思われた。
 ヒステリックなようで、焦燥しているようで、困惑し混乱しているような声だ。
 呪文ようなものではなく、明らかに日本語のカケラなんだが、意味が取れない。

 薄目を開けると、外はまだ、暗かった。
 けれど、朝ぼらけの直前だった。
 俺は自分の勉強部屋の窓から射し込む西日を遮るために、妻の寝室から、カーテンの半分を借りてきて、西の窓にかけている(妻からは「早くブラインドか何かを買いなさい」と言われているのだが、安物はともかくとして、欲しいようなやつは高くて、手が出ない)。
 そんなわけで、妻の寝室は、遮光されてはいないのだ。

 俺は目を凝らして、居間から持ってきて、これも妻の仕事机の上に置いてあるデジタルの電波時計を覗き込む。
 午前三時ごろなのだろうか?
 デジタルは、数字が読み取れなければ、意味がない。

 今度は脚に、感触があった。
 足の裏を、ぐっぐと揉むような感触なのだが、その手つきはどうも、老人……男……つまり、じいさんらしい。

「あー、よく寝た!」と、馬鹿馬鹿しい独り言を呟きながら起き上がったのは、午前八時だった。
 嬉しいのも困ったのも含めて、メールをチェックしなくちゃいけないまでには、まだ時間がある。

 新しく建った崖の上の集合住宅には、すましたような清潔さだけがある。
 だが、この土地も、焼かれ焦がされた歴史があるのかなと思った。
 冷蔵庫から、最近お気に入りのデカビタを取り出し、タバコをくわえながらバルコニーに出た。
 もう相当に太陽は高く、俺のたるんだ腹をじりじりしてくれた。

 これまでは、国際会議のように喧しかったセミ――国際会議が喧しいものかどうかは別として――が、同じ奴なのか違う奴なのか、俺の喫煙バルコニーに飛び込んでくる。
 肩や背中に当たったりはしないくせに、耳元をかすめていく。
 何匹も何匹もだ。
 彼らの、地上での寿命が一週間だというのは本当なのかな、と思った。
 どうだっていいんだが。

 タバコを切らしたので、いやいやながら、玄関を出ることにした。
 間違って踏みつけてしまうほどの距離ではないところに、仰向けになったセミの死骸があった。
 俺はこわごわとそれをつまんで、やたらと精密なアルミの柵の外へ棄てた。

このブログ風読み物はフィクションです。
実在の人物・団体・商品・店名などとは関係なく、
ストーリーも全て架空のものです。

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2009年08月11日

Monday is Monday

 月曜日は、月曜日だ。

 むかーし、歌があったよね。
 Tell me why I don't like Monday……だっけ?

 朝10時から、電話会議をした。
 3者以上になるとVIDEOは映らないので、むしろ都合がいい。
 でも、音はいいので充分。

 会議中、家電話が30コールくらい鳴って(留守電を設定していないから)、よほど出ようかと思ったけれど、そういう小さい「借り」(電話の主ではなくて、会議中の仕事の相手=顧客)が、仕事に影響するのだ。
 そういうことを「貸し」にする人々は、以外に多いんだよ。
 むしろ、電話が背後でリンリン鳴ってる方が、忙しげな気分が出る?

 電話は、友達からのものだった。
 だので、あとでかけ直した。

「本気で、少しお仕事の話をしませんか?」とメールが来た。
 P嬢。
「失礼な言い方だったらごめん……僕は《本気》って言葉が苦手です。で、茗荷谷、千石、大塚、巣鴨のどっかならよいけど」と返事をした。
「ご自宅の半径1キロからお出にならないの? それはご勝手ですけれど、少しはお出かけになったら?」
「ブクロまでなら」と返事をした。
「たまには美味しいものを召し上がりません?」

 この人は、何を言っているのだろう。
 いや、ヘンクツな意味ではなくて、イタリヤ料理やフランス料理が、美味しいものなのだろうかな。

「では、たまには出掛けてみますかね」と返事をした。
 品川駅の大きなビル内にある、カニとカキを食わせる店を指定された。
 この季節にカキはどうかと思ったが。

 ウエイティングバーがあると聞いていたので、少し早めに着いて、ドライシェリーとジンライムを飲んで待っていた。
 20分遅れくらいでP嬢が現れ、テーブルに案内された。
 手をベトベトにしながらカニ(サンフランシスコ風の、ガーリックとバターでギトギトのやつ=ダンジネスクラブという美味いカニ)を食い、馬鹿話をした。
 馬鹿話とはいえ、今現在売れている本の話の「悪口」を言ったらこっぴどく怒られるので、古典の話をした。
 古典の話って……なんだか偉そうだけど、夏目漱石の「坊ちゃん」とか、太宰治の「如是我聞」の話とか。
 それだって、シガナオヤの悪口(それは、太宰がゆってるんだぜ?!)の話でもしようものなら、またこっぴどく怒られるので、言葉は慎む。

「カニを食うと、皆、無口になる」なんてのは、カニを食ったことのない人の妄想じゃないの?
 カニをバリバリ食うと、楽しいもんだよ。

 尊敬する友のRodrigues(ロドリゲス)の技を、提案してみた。
「あー、あるだけのレモンを、カットして、持ってきてくれない?」
 ロドの台詞!
 そうなのだ。
 生のレモンで手を拭うと、カニも油もすっかりきれいになるのだ。

「で、『チャウロップ・ポームズ』と『黒い春』と『万華鏡のころ』と『ザザムシのことで、またもや思い出した』と……。本当はどれを書きたいの?」
「……それを答える前に、林檎のブランデーを飲ませてよ」
「こういうことは、繰り返していたわよね。あなた、飲んだ後で『俺は別に、なんも書きたくないし』って言う」
「ちょっと違うよ」
 と俺はそこで、林檎のブランデーを頼む。
「どう違うの?」
「『書きたくない』とか言わないよ。別に、作家じゃないんだし」
「わかるように言って」
「いや……俺は別に何も『書けないし』って」

 沈黙になり、デザートを勧められ、P嬢はシャーベットを、俺はクレムなんとかという、焦げて溶けたプリンみたいな、ほら、なんていったかな……。
 ブリュレ? だよね。
 そして、フレンチ・コーヒーをもらった。

「ほんとにやる気ないのね」
「……これは喧嘩を売るつもりじゃないけどね、やる気があるかどうかなんて、わかるもんかい?」
「あなたが何を言おうとしてるか、わからなくことがあって、すごく戸惑うことがある」

 俺たちは、品川駅の味気ない大きな通路を歩いた。
 改札口あたりで、
「高輪口に出ると、ろくでもない飲み屋街があるよ」
「ろくでもない飲み屋街なんて、行きたくないわ」
「しょっぱさが自由自在の、屋台のラーメンもある」
「おなかいっぱい」
「じゃあ君は、気を付けて帰りなさい」
「あなた、どうされるの?」
「おなかいっぱい」

 P嬢は、デザートのシャーベットより10℃くらい温度が低そうな、そうさ……かき氷のシロップ抜きみたいな目で俺を睨んでから、改札口を通って行った。

 ああ……こうしてまた、俺の世界は狭くなる。

 田町まで歩いた。
 ポケットに入れていた電話が震えたので開くと、
「私は少し、キツいですか?」とP嬢から。
 少し考え込んだけど、もったいつけているように思われるのも残念なので、
「あなたはとても優しいと思うケド?」と、返事をした。

「ケド?」のカタカナが気に入らなかったのかな。
 返事は無かった。

 どうでもいいけど、最寄りの山手線、大塚or巣鴨から一番遠いのが、品川or田町なんだ。

*後から思えば、三田から都営三田線に乗ればすぐだった!!


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posted by TAKAGISM at 18:49| Comment(5) | 日常

2009年08月01日

ハリ

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これは、しばしば出てくる、虹。ケータイの写真では、あんまりはっきりしないな。

 今住んでる、住み始めた街について、語りたいことヤマほどあるのだが、今日は控えて。
 ネムイし。

 ところで、初めて「鍼」ってものを打ってもらったというか打たれた。
 恐ろしい体験だった。
 どんなだか知らない、おそらくはかなり細い鍼が、皮膚に入るときは、床屋の後の毛のチクチクレベル。
 それが肉に刺さるとき、神経というのか、むしろ骨に、ずーんと来る。

「どうやって僕のホネにじかに触っているのですか?」

 そのうえ、電気まで通され、どうなることかと思ったよ。
 理科の実験のカエルの解剖の果ての、電気ショックと同じだった。

 ビク、ビク、ビク、ビク、ビク、ビク、ビク、ビク……

 鍼、未経験の人を怖がらせるわけにもいかんが、怖いよ。

 で、その後のマッサは、よかった。

 ところが「置き鍼」とやらを、された。
 肩の2カ所に、1ミリの長さだとかいう鍼を、入れたまま、
「明日も来て下さい」とは……おのれの肉体が人質みたいなことだろ。

 置き鍼。

 鍼はまあどうでもいいけど、この街の話をしたい。
posted by TAKAGISM at 03:22| Comment(2) | 日常

2009年05月16日

魔王との昼下がり

 魔王から電話をいただいた。
「たまたま、東京へ出張しておるのですがね……」とのこと。
 とはいえ魔王は大体、月に三度は上京されているようだ。
「貴君のご都合が合うならば、夕食など、いかがですか」
「お誘いありがとうございます。ただ、私は今、実は札幌にいるのです」
「ああ、そうでしたか。では、またの機会に、ですな」
「残念です。日曜に東京へ戻るのですが、その前に札幌でお目にかかる機会はあり得ませんでしょうか」
「でしたら……土曜の午後などはいかがでしょう?」
「はい。ぜひ」
「ではですね……」

 魔王によって指定されたのは、市内の老舗ホテルのラウンジだった。
 マリアンヌこと、某女とよく会っていた場所だ。

 前の日はよく眠れなかったが、朝風呂を浴び、きれいに髭を剃り、出掛けた。
 待ち合わせ場所のラウンジには魔王はおられず、ロビーの一角に立っていらっしゃった。
「週末にすみませんな」
「いいえ、こちらの台詞です」
「お食事は?」
「まだです……というか、ふだん昼は摂らない習慣なのです」
「高木さんは、お車ですね?」
「いいえ。地下鉄でまいりました」
「そうですか。私、少々喉が渇いたんですが、小さなビールなど、軽くお付き合いいただけませんか」
「はい、喜んで」
 ホテルの中、長いこと営業していた郷土料理の店は、知らぬうちにモダーンな鮨屋になっていた。
 カウンターで生ビールのグラスを合わせ、握り鮨をいただく。
 かなり上等な鮨だ。
 だが、魔王のお言葉の方がよほどありがたい。

 仕事のことや、現状の報告を初めとして、くつろぎの中でいろいろとお話を伺った。
 やはりついつい、懐かしい話になる。
 僕の今の年齢が、魔王が会社を設立した年齢と同じだ。
「……いろいろあって、マイナスからのスタートでしたよ」と、しみじみとおっしゃる。

 かつての部下や同僚の、活躍を聞く。
 かんちゃん、宮田くん、大石さん……。

 あっという間に3時間近くが過ぎていた。
「昼からの酒を飲ませて、申し訳ありませんでしたね」
「たいへんご馳走になりました」
「では私はこちらなので」

 魔王は、風のように去っていった。

 僕はその興奮と喜びを、誰かに伝えたく、まずは妻に電話したのだった。
「最高のひとときだったよ」
「うん。よかったね」

 おそらくいつまで経っても、魔王の徒弟を卒業できないのである。
posted by TAKAGISM at 23:59| Comment(3) | 日常

2009年05月15日

うどん製作会


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 どんどん日常の時間がズレていくなあと反省。
 今朝は、9時に目覚め、コーヒーを飲みながらメールをチェックした後、実はまた眠ってしまった。
 9〜11時までのメールへの返信が遅れました。

 今日は「うどんの日」になっているのである。
 次女・ニコと、そのお友達らが自作する料理を、素人ながらオブザーブしたことがある。
 僕は決して手を汚さないのが絶対的な主義だ。
(刃物系や火炎系、加えて、洗い物系もやりますがね!)

 最初は何の弾みだったか、生地から練ったピザを作ってもらい、うまかった。
 次に、ちょっと頑張って中華まんじゅうを自作させたが、これもかなり、うまかった。
「次は何だろうかのう?」となったのが春休みの終わりで、
「手打ちうどんがいい〜!」ってことになっていたのだ。

 週末は僕に予定があるので、金曜日の午後しかなかった。
「3時に集まっても、食べられるのは6時になる。だから、習い事や用事がない人。
 それと、6時にうどんを腹一杯食べても、おうちの事情に支障がない人」
 という条件を出しておいた。

 うどんの素材は簡単だ。
 薄力粉、強力粉、塩と水があればできる。
 もっと言えば、別に薄力粉だけでも問題なく、おいしいうどんができる。
 出汁(タレ)は、カツオ節と醤油とザラメだ。
 だからゆっくり構えていた。

 午後3時にニコが帰ってきた。
 仕事で電話中の僕の目の前に、
「1人増えたけど、いい? 全部で6人」と、メモを差し入れてくる。
 もちろんまるで問題ない。

 製作手法の選択肢は、2×2で4つあった。

・ビニール袋を使って、手を汚さずに作る式
・ボウルで粉を、手でマゼマゼ式

 かつ、

・1キロ(約10人前)を、一気に作る式
・500グラムずつ、二つに分けて作る式

 これらの組み合わせになる。
 全員が揃ったらしいので、上記の選択をさせると、満場一致で、

・500グラムずつ2チームに分かれ、ボウルで粉をコネコネ式

 ということになった。

 調理器具が揃っていない我が家なので、ボウルの種類による弁別で、3人ずつ、
「ガラス・チーム」
「ステンレス・チーム」
 に分かれた。

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 こちとら、1キロのレシピしか頭にないので、割り算する。
 理科の先生風味はいやなのだが、ともかく、
「250グラムの薄力粉と、250グラムの強力粉を、それぞれのボウルに検量しれ〜」と言う。
 さすが5年生なので、
「この袋は500グラム入りだから、そっちが先に250グラム計れば、こっちは全部入れればいいだけだね!」と言う子がいる。
 その通り!
 が、強力粉は1キロパックだったので、同じようにはいかない。
 250のはずの量が、300こっちに入ってしまった。
 さあどうする?
「あ、こっちから、50グラムをそっちのボウルにあげて、あとはそっちがプラス200グラム入れればいんじゃない?」
 その通り!
 てか、まとめて1キロで作れば、ずっと簡単なんだけどさ。

 粉を溶く塩水は、450ccに対して50グラムと、これはもう決まりである。
 2分割して、水225ccに塩25グラムとなる。
 おのおのに、別々の計量カップと上皿を用意する。

 450cc(つまり450グラム)の水に50グラムの塩を足すと、化学的に「溶ける」ので、その体積と質量が面白いことになるんだが、ここを解説しだすと、せっかくの「うどん自作」が理科の授業みたいになるので、要らんことは言わぬ!

 塩を計りながら、お料理感覚のある子は、
「なんかすごい量だね。しょっぱくなりそう!」と言う。
 すさまじく鋭い疑問だ。
「これはね、小麦粉のデンプンをコシのあるタンパク質のグルテンってやつに変えるためのものなのだ。うどんを茹でる工程で、ほとんど全てが茹で湯に溶け出すから、塩分の心配は要らないのだよ」
 と、こういうところは、ちゃんと説明する。

 小学5年生の女の子たちは、グラムやミリリットルに対する厳密性において、僕ら中年おやじより、はるかに正確で精密だ。
 だから、ここらは安心していていい……。
 ……が、事故は起きた!

 3人ずつの2チームが、粉に水を回してこね始めた。
 粉の感触は気持ちがいいものだ。
 みな歓声を上げている。
 なるほど、何度も手を洗うことになるとしても、この感触がいいんだな。
 ビニール袋にしなくてよかった……と僕は、リモコン状態で、見ている。

 ステンレス・チームに異変が起こった。
 ガラス・チームが、ボソボソした生地を不安がりながらまとめていく一方で、ステンレス・チームの生地が、泥状である。
 どうやら、225ccであるべき水の量を「こむぎこ・250グラム」の目盛りで計ったらしい。
 水に換算すると、約400ccを流し込んだことになる!
 食塩水を加える前に、チェックしなかった僕の責任だ。
 しかも、ガラス・チームに与えたメジャーカップはシンプルなやつだったが、ステンレス・チームに与えたものは、容量こそ同じでも、目盛りが複雑な、大人でも戸惑うやつだった!

*ここで少し感動したのは、ステンレス・チームの誰も、自分以外の誰かに責任転嫁をしなかったことだ。
 僕だったなら、
「こら長島縦や! ちゃんと計れよ! まったくもう! だいなしだぜ!」とか、絶対に言うところである!!


 ここで2つ、彼女らには選択肢があった。

1・500グラムの小麦粉を棄てて、最初からやり直す
2・いまあるものに、粉を足すことで、復帰を目指す

 ステンレス・チームは、果敢にも「2」を選択したので、僕は小麦粉2種と塩を再び取りだし、
「ここからは、目分量の世界だなあ。まあ、オレについてこい!」とばかりに、すっかりステンレス・チームの一員になってしまった。

 結果、
 ガラス・チームは、なんだか硬そうな500グラムの生地、
 ステンレス・チームは、少し緩そうな生地が1キロ余りの仕上がりになった。

*ちなみにニコは、そつなき「ガラス・チーム」の一員として、少々誇らしげであった。
 僕はステンレス・チームの助っ人として、なんとかしようと対抗意識を燃やした!

 漬物用として売っているらしい、巨大で分厚いビニール袋を、階下の母が提供してくれていたので、それぞれに生地を収め、まずは最初の寝かせ。
 女の子たちは遊んでいるが、僕は気が気ではなかった。
 パン生地と違って膨らんだりしないだけに、どうしていいのか判らぬ。
 ステンレス・チームの、巨大な生地が気になる。
 うどんの生地は、寝かせるほどにユルくなるのである!
 しかし、最悪でも、ガラス・チームによる500グラムで、娘っこら6人が食べることはできるだろう。

 いろんな想念が頭をよぎる。
 今が昭和20年だとして、1キロの小麦粉が手に入って、
 母「今日はうどんだよ」
 子「わーい!」
 とか言ってたお母さんが、なんかの弾みで生地をドロにしてしまったら、とか。
 ともあれ、あの失敗の粉を棄てなかったことについて、彼女らは賢明だったな、とか。
 飢餓地帯の子供らに小麦粉を100キロ送るとして、どういう段取りがあるんだろう、とか。
 100キロの小麦粉は、もんじゃ焼きにすれば、1人宛50グラムとしても2万人分になるだろうから、これは一番楽しいかもしれないが、ソースやキャベツは手当できるだろうか、とか。
 考え過ぎか……。

 30分後、3Fで遊んでいた娘らを呼び寄せ、一番楽しいらしい「ふみふみ段階」に入る。
 これは、強く速く踏んではならないのだ。
 ワインのための葡萄は、乙女が裸足で、葡萄をザクザク踏むのがいいけど、
 ウドンのための小麦は、おやじが足袋で、ヌクヌク踏むのがいいんです……グルテン生成的に。
 だが、もう、遊園地の遊具を奪うように、入れ替わり立ち替わりでザックザック踏んでいる。
 手を消毒してもらった人が、伸びた生地を袋の中で折りたたみ、また、ザックザック踏んでいる。

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 そんなことを繰り返し、いよいよ「延ばし」工程になった。
 これは麺棒も使うし、実は力が要るから、僕がやった方が早いのだが、誰しもやりたがる。
 なので、指導だけして、好きなようにやってもらった。

「出汁・タレ班に志願する人はいるかい?」
「はーい!」と3人が集まった。
 湯を沸かし、カツオ節をどっさり入れて、煮立たせずに5分見てもらう。
 目の細かいざるで漉し、まずはカツオ出汁の味をみさせる。
「うわー、濃い、カツオの出汁だ〜」という子もいれば、
「ん? 味が、ない」という子もいる。
 次には濃口醤油をドボドボ足して、味をみさせる。
「あ、これでいい!」って子もいれば、
「しょっぱーい!」と口をすぼめる子もいる。
 次には、ザラメを足す。
「それ、何ですか〜?」という子もいれば、
「え、しらないの? ザラメじゃん」という子もいる。
「ザラメって、なにそれ〜」
 おもしろい。

 ここで、
『これではしょっぱすぎる系』
『ちょうどいい系』
『どうでもいいからはやく食いたい系』
 に分かれた。

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 うどんは「切り」が大変だ。
 パスタマシーンでも欲しいな。
 でも、今日はとにかく、手数(人数)が多いのは助かった。
 4ミリ幅に(麺切り包丁のない我が家では、普通の牛刀で!)切っていく先から、みんなで折り目を延ばし、麺にしているもよう。
 ガラス・チームのうどんは、あまりいじる必要も無く、角がしっかり、むしろ茹でるのが大変そうなゴツい迫力。
 ステンレス・チームのは、へたするとラーメンみたいに伸びちゃう。
 太いところと細いところが混在すると、茹でづらいのは経験済み。
 でも、ここらあたりで、
「どっちのうどんも、かなりうまいだろうな」と、僕は内心で確信した。

 特設食器班には、器と箸を用意させ、僕と麻衣子さんの分を含めて8人の食器を用意させる。
 特命海苔課には、キッチンばさみを2丁与え、焼き海苔を細かく刻ませる。
 加えて、階下のババを召喚し「ガラス・チーム」のうどんを茹でて洗ってもらうように依頼した。

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これは、ステンレス・チームのもの

 ステンレス・チームのユルかったうどんは、14分の茹でで、しっかりしたものになった。
 冷水(今の札幌の冷水は、ほんと冷たい!)で何度も洗ってからザルに上げ、8人に均等に分けた。
 その上から「濃い口」の出汁をかけ回して、やっと、
「いたーだきーます!」と。

 ステンレス・チームは、悪夢からの生還とも言える。
 生地がやわらかだったので太さにムラはあるが、でもうまかった。

 やがて階下からベルが鳴り、駆けつけると、ガラス・チームのうどんが茹で上がっていた。
 こっちは、角がくっきり立った均一なうどんである。
 ステンレス・チームとガラス・チーム、それぞれ自分のこねたものに自負があるようだったが、お互いにあれこれ言いながら、けっきょくどちらの食感も、楽しんでいたようだ。
 そもそも、チームとは言え、最初に決めた食卓の席順が、右翼か左翼だけの違いなのである!

「手作りは違うね〜」とか、
「あごが疲れた〜」とか、
「また作りたい〜」とか言っていた。

 実際のところ、ガラス・チームのものはレシピ通りのいい出来で味も良かったが、敢えて言えば、踏みが少し乱暴だったのだろう、グルテンが切れてしまっていて、意外なことに表面が荒れていた。
 ステンレス・チームのものは、伸ばしやすく切りやすく、おそらく昔の家庭で作ったのは、こういう手軽なものであったはずと思われた。
 ただし、ふにゃふにゃなだけに形が揃わず、食感が統一しなかったのは残念。

 で、つまり「パスタ切り機」を備えればいいということだろうか?
 僕はあのマシーンのことを、まるで知らない。

 ともかくも、8人――
(というより、途中で帰宅の麻衣ちゃんと、途中からサーブに徹した僕を抜けば6人)
 ――で、1.5キロの小麦粉による約15人前のうどんを平らげげていた娘っこら。

 次回は、意見交換の結果、カレー&ナン、ということらしい。

 こうして「ガールズ料理隊長」を演じられるのも、もうあと僅かだろう。
 やがてどの子も、さらにお姉さんになり、本格的に腕を磨くのだろう。

 でも、これもひとつの思い出にはなるはず。
 僕自身の小学五年生は、思い出のかたまりだったのを思い出す。

(All Photos by Maico Seki)
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2009年05月14日

勉強をします

 6時に目覚めた。
 起き出すのにはちょっと寒い気がしたので、ベッドの中で、昨夜から読みかけの本を開いた。
 ちょっと難しい本を読んでいる。
 やがて二度寝してしまったらしい。
 気がつくと8時だったので、起き出してコーヒーを淹れる。
 TVをつけたが、すぐに消す。
 大地震やテロや大規模な事故が無ければ、別にいいのだ。
 いくつかの仕事が、思ったように動いていかない。
 心を鎮めて、コーヒーを啜る。
 二台の自転車が二重駐車になっていて開けづらい戸棚を開く。
 何か心慰む読み物はないかというわけだ。
 危ないところだった……
……ってほどではないが、第2集と、少なくとも第3集は未読だから買わなくては、と思っていた花輪和一先生の「刑務所の前」、1〜3まで全部持っていた。
 3を熟読してしまった。
 なんだか肩がこり、目の奥も痛い。
 携帯電話だけは出られるようにしつつ、仕事椅子で仮眠。

 午後、いくつか、生活上の電話や連絡事項などを捌く。
 来週の予定をいくつか整理する。

 またニコが帰ってくる時刻になった。
 ニコは帰ってくるなり、1丁目の義父母が用意してくれていた鉄火巻きをたちまちに平らげ、昨日よりは一時間早い時刻に、ダンス教室(2)に出かけていった。

 車を出して、近所の巨大書店へ。
 よくもまあ、こんなに出版物があるものだ。
 だが、小一時間巡っても、手に取りたい本がない。
 そら寒い気すらした。
 けっきょく、つげ義春先生の本(文字の)を買い求めたが、新しい原稿は少なかった。
 ただ、「自分史」のところで、奥さんがだいぶ前に亡くなり、息子さん(僕よりちょうど十歳若い)が、引きこもりになっていることを知る。
 先生も、もう長いこと調子が悪いとは聞いている。
 昨年『ササイのことで思い出した』という小説を読売新聞のサイトで連載させてもらった際に、挿絵を描いて下さったのは蛭子能収先生だったのだが、実はつげ先生の名前も挙がっていた。
「つげさんは、どうやら今は、まるで描いてらっしゃらないようです」と編集の方に言われたのだった。
 1937年生まれのつげ先生、当年72歳である。

 夕食は、おそろしく新鮮なタラときのこと、寄せ豆腐の鍋。
 イワシの刺身と、僕が土産で買ってきた鯖の味噌漬けの薄切り。
 芋焼酎を2杯飲んだ。

 早寝して早起きしようと22時過ぎにベッドに潜り込んだが、雑用の電話で起こされた。
 そのまま起きて、また本を読みはじめた。

 明日は午後から、ニコとその友達らと、手打ちうどんパーティーなのだ。
 ピザが成功で、中華まんじゅうが大成功だったので、そこでつい、
「次は手打ちうどんかな」と口走ってしまったのだ。
 あまり夜更かしはできないな。
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2009年05月13日

気分の不景気

 目覚めると、ちょうど次女のニコが小学校に出かけるころだと気づいた。
 8時前後、いつもの友達が迎えに来るのを玄関で待っている――そういう時刻だったので降りていった。
 まさに出て行くところだった。
 気温は低い。
 寝起きのままのTシャツ姿では、外の風が冷たい。

 湯を沸かし、コーヒーを淹れた。
 煙草が切れていたので、灰皿からシケモクを拾う。
 もう30年も吸っていると、吸い殻の長さはぴたりと一緒である。
 まれに、急な電話やドアチャイムのせいで寿命が短かったものがいる。
 それを拾って火をつける。
 セブン・イレブンは、徒歩30秒だが、まずはコーヒーで目覚めたい。

 水曜日は経験的に、情報の出入りが多い日だ。
 まだ返していなかった返事など、9時前までに数通のメールを書く。
 ところで、よほど仕事机の広い人は別として、本を読もうと思ったときに、キーボードは邪魔にならないか?
 あるいはちょっと難しい、あるいは神聖な本を読もうとしたとき、TVも邪魔である。
 もっと言えば、朝のワイドショーで繰り返されるニュースを見聞きしてしまうと、「その日」が判ってしまう。
 日によっては、明け方の5時から「みのもんた」に付き合い、「やくまる」の顔が出るなり慌てて「めぐみ」か「おぐら」にチェンジして、午後2時からは「みやね」、夕刻には「笛吹さん」か「安藤優子」、夜には国営放送ニュースを経てから「ふるだち」を経て「こばやしまお」「滝川クリステル」という、報道三昧のこともある。
 別に何も得られない。
 小沢一郎が辞任しつつ、院政を敷こうとしていることは読める。
(「鳩山さんは、小沢と心中したんだ……」などと考えている人はおめでたい)

 今朝はキーボードを閉じ、TVはつけず、コーヒーを啜りながら、本を読んだ。
 1時間おきにメールをチェックすると、少しずつ仕事が動いていく。
 本を閉じ、アイデアプロセッサやテキストエディタに向かう。

 実際、札幌にいても武蔵野にいても、仕事は変わらない。
 その場その場で、もっと人に会えばいいと思うんだが。
 でもなぜか、僕が札幌にいるのを知っていて声をかけてくれる人に、会いにいけない。
 沈んでいるというわけでもないのだが、心の不景気とでもいうのか。

 自転車に乗るには、まだ気候は冷えている。
 車でドライブも億劫である。

 たちまち夕刻になり、ニコが帰ってくる。
 友達がやってきて、今日はこれから、ダンス教室(1)なのだと言う。

 午後7時、早めの風呂に入る。
 7時半、ニコが帰ってくる。
 階下の母と三人、夕食を摂る。
 父は定例の会合らしい。
 竜田揚げ、はんぺんフライ、千切りキャベツ、いんげん煮物、蛸刺身、ふのり味噌汁、白米。
……こう記述すると、まるで刑務所の食事のようだな。

(と書くと、いくつか誤解があったようなので、あえて補足すると、
 このところいろんな人の「獄中記」を読んでいて、
 その即物的なネーミング羅列が面白いと思っているうちに、自分も同じ書き方になったと、
 それくらいの意味だ。
 母のメニューが刑務所的だと言う意味ではまったくない。
 加えて言えば、これは塀の中の飯が味気なくて粗末で、という偏見を基準にした話で、
 実際のところ、拘置所や刑務所の食事は、実際のところ非常にうまく栄養価も高いそうだ。
 僕が作る一皿ディナーに比べると、母の料理はいつも品目が多いという意味もある。
 とはいえ、推定無罪の拘置者や受刑者が牢の中で食うのは、気分的には味気ないだろうけど。
 ちなみに、留置所(拘置所ではない)で出される弁当は、ひどい代物だと誰もが書いている)

 うまかったです。
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2009年05月11日

北のリゾート

 誰しも、そこに立ち返るといい思い出しかないという、清冽な旅の記憶があると思う。
 一方で、いやな記憶が蘇る人も多いかもしれない。
 事故などは筆頭として、急な風邪や、食中毒など……。
 でもいちばん多いのは、人間関係のトラブルじゃないだろうか。
「成田離婚」という言葉が言われたのは80年代以前だと記憶している。
 きっと日本人が、よかれ悪しかれ、覚悟や気負い無しに、気楽に海外に出かけるようになってからのことだろう。
 それは陳腐で気まぐれなことのように、当時は喧伝されたが、まさにあり得ることだと思う。
 旅先、ましてそれが海外であれば、ひとの本性や基本的能力も顕わになるからだ。

 わがままな僕でも、ありがちな、旅先での障害や軋轢というのは数えるほどしかない。
 これは、僕が「旅」と思っているものの多くが仕事関係であったり、むしろ仕事を離れていながらの純然たる楽しみの旅行だったからかもしれない。
 これは他人との、旅に関して言っている。
 仕事旅であれば気を張る。
 今回は仕事じゃないんだよという旅であれば、むしろそれをバカバカしいものにするために気を遣う。
 では気心の知れた(?)身内や親友との旅がいいのかというと、そうでもないところが難しい。
 旅先では(自分も含めて言うが)、誰かが財布をなくすし、誰かが風邪をひくし、誰かが現地の法律に触れるし、誰かが痴漢に遭うし、誰かが意味もなく落ち込むし、誰かが意味もなくハイテンションになる。
 他人に気を遣わず、事件や事故もない穏やかな旅が理想だが、なかなかそうはいかない。
 むしろ、そういう旅の記憶がある人はかなり運がいいはずだ。

 ぶっちゃけ、付き合いだして半年くらいの恋人同士が、地元でのデートに少し飽きて、ちょっとばかり強引に、ただし短い海外旅行に行く、というのが理想だ。
 リアルな話を言えば、お互い、食い物や飲み物の嗜好が判っていて、体の匂いやトイレの使い方などもだいたい判っている関係。
 残念ながら僕には、そんな旅の経験がないのだが!

 昨日、冷たく濃密な空気が満ちている北海道に帰ってきた。
 ここは僕が生まれ、育ち、結婚し、二人の子を授かり、父母とともに家を造った土地である。
 東京では、居間兼、仕事場兼、寝室で、倒れるように眠っている僕である。
 昨日未明、寝室に行ってみた。
 というのも、僕が眠る場所は、そこしかないのだから。
 南に面した三面に窓と遮光カーテンがあるという、微妙に設計ミスな広い寝室なのだが、お好きなのをどうぞとばかり畳まれた寝具や、ダブルが二つ、くっつきあわされている広いベッドなど、快適だった。
 究極的リゾートのホテルだと思った。
 夜泣きする赤ちゃん(いまなら、何人でも歓迎だ!)も、チェックアウト時の精算(前夜にカードで済ませておこう!)も、要らない。
 そうか!
 北海道にうちがあるって、リゾートなんだと思った。
 もっとも、誰かがちゃんと手入れしなければ、汚いことになる。

 新品の枕に頭を横たえながら、そのまま眠るのが惜しく、面倒くさそうな本を手にした。
 キリスト教神学の、入門書だった。
 ちょうど良く、その屁理屈は難しかった。
 だので、睡眠薬は要らなかった。

 夢を見た。
 馬鹿馬鹿しい夢だ。
 旧い海図をもとに、宝探しに出かける夢だった。
 ゆるやかに目覚めながら、続きを探った。
 悪い海賊と、決闘になった。
 僕の背後には、丹波哲郎がいるという設定だった。
「好きなように暴れてこい」と言われ、海図を調べる。
 夢は不思議で、丹波哲郎の背後に、さらに厳然と、高橋昭憲がいるという、自然な設定だった。
 丹波哲郎はノルマ主義の上司として、怖い顔をしているが、そんなものはともかく。
 高橋昭憲が、カリスマとして、絶対的に存在している設定。
 丹波が実は直接会ったことのない高橋昭憲に、僕は実際に会ったことがある……という設定。
 まさに、そうだ!
 タンバが、なんぼのもんだ!
「ショウケンが、俺の背中を見ていてくれるなら、どんな相手でも、迷い無く、斬れる」
 と、目覚めてみれば変な台詞を、夢の中で、実際より20歳ほど若い僕は唱える。
 で、念入りに、刀を研いでいた。
 なかなかいい夢だった。

 妻からの、ひどく事務的な用件の電話で、起こされた。
 僕から彼女に電話するときはたいてい、馬鹿な用事だ。
 妻から僕に電話が来ることは少なく、その際は何か真面目な話なので、むしろドキドキする。
 普段から「無駄な用事で電話をかけてくるように」と、言ってみよう。
 ともあれ三面からの明るい日光が、とっくに僕の体を起こしかけている時刻だからよかった。
「起きてた?」
「う」
「ああ、よかった……あのね……」

 ほんとは、夢の残滓をむさぼり続けていたいような、まさに夢の中の夢の、時間だった。
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2009年05月09日

凄まじい年齢

 金曜日は誕生日でした。

IMG_1006.jpg

 〇時になると同時に、御祝いのメールなどをいただきました。
 実はそれを少し期待しながら、普段ならその時刻、電源を切ってしまう携帯などを、まさに携帯していたわけでありました。
 これはほんとの話なのですが、三〇歳頃から……つまりは長女が生まれた頃から、自分の誕生日など顧みることはほとんどなくなっていました。
 結果として、御祝いのカードや心を尽くした贈り物などを受け取っても、もちろん嬉しいのには間違いないながら、その相手が、僕のために何かの品物を選び、貴重なお金を払い、包装を選び、カードに文字を記し、手許に送り届けてくれるというその気持ちの一つ一つをじっくり考えたことなどなく、それを一種の照れのように思っていたのでしたが、これは大いなる傲慢であり過ちだったと、悲しくも恐ろしいことに、この歳になって気付いたようなありさまです。
 言葉や贈り物を贈ってくれる人は、気付けば知り合ってからずっとそうしてくれている人たちばかりでした。
 自分がその気持ちを丁寧に受け止め、機会があり次第、自分からも気持ちを投げていたかと反省すると、背中に冷たい汗が走ります。
 指先が細かくしびれる感じになります。
 恥ずかしいと思う。

 ところで、僕が達したこの凄まじい年齢を考えてみると、父がこの年齢の時、僕は都内の私立大学の二年生として、まこと浮かれた暮らしをしていたわけです。
 仕事柄、東京への出張の多かった父に呼び出され、友人(ときには女の子)を連れて、普段は口にできないような食事(とはいえ父も田舎者なので、お決まりの郷土料理の店でしたが)に、しばしば出掛けていきました。
「大学はどうなんだ」
「ああ。まあまあだよ……」
 などと嘯きながら、注がれる冷たい酒なんかを際限もなくあおります。
 別れ際に父は財布を開き、
「こんだけしかない。ぜんぶやる」と、小遣いをくれました。
 三万円の時も、五万円の時すらありました。
 もちろん大感謝して押し戴くわけですが、あれがどういう価値だったのか。
 ふざけた時代、1986年の五万円の価値の多寡ではありません。
 もちろんそれは、異様な大金だったわけですが、その有難味を言うのではない。
 今では父の気持ちがよくわかりますが、当時はまるで判っていなかった。
 僕はつまり、苦労というものをしたことがないのです。
 もしかすると、まさに今が、少しだけ苦労の歳かもしれないとは思うが。

 夕方、妻と次女のニコが階段を下りてくる音がした。
 玄関ホールに続くドアを開け、
「どこ行く?」と聞いた。
「ん〜」とにやにや顔のニコをみて、何かたくらんでくれているのが判りました。
 やがて二人、帰ってきて、僕の部屋の天井からは、何か椅子やテーブルがこすれる音がした。
 僕は仕事椅子で少々うたた寝して、コーヒーを淹れるために、二階へ上がった。
 食卓に何かシートのようなものを広げ、ニコが数種類のクリームをケーキになすりつけていた。
「おお。それはもしや、俺に食わせてくれるのかな?」などと言いながら、コーヒーはやめて素早く部屋に戻った。
 しばらくガタガタした音が続いてから、夕刻、呼ばれました。
 食卓には、ハート型の大きなハンバーグと野菜サラダ、および二種類のケーキが並んでいた。
 ハンバーグが、お世辞抜きに最高にうまかったので作り方を尋ねたところ、味付けは塩とコショウだけで、
「ナツメッグやケチャップを入れるのを忘れてたことにあとで気付いた」とのことで、新たなレシピを知ることになったわけです。
 二種の手作りケーキを切り分けて家族でたいらげ、コーヒーも飲んだ。
 とても満足しました。
 夜半、長女・紅円からは手紙を受け取った。
 日が明けて、ニコから本を貰った。
 金子光晴の『アジア無銭旅行』という本であった。
 あの気まぐれな角川春樹事務所が出していた(いる?)「ランティエ叢書」の一巻である。
 近所にある、彼女お気に入りの古書店で買ってくれたものらしい。
 ニコ……おまえ、かな〜り、シブいぜ!

 友人たちからも、手紙、映画チケット、ワイン、書籍、かりんとう、など、贈り物をたくさんいただきました。
 常ならず、ひとつひとつに、まるでドット絵を描くような丁寧さで感謝している、今の僕です。
 明らかに人生半ばを折り返しつつ――。
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2009年05月04日

麻布十番温泉の続き

 僕は縁側みたいな日当たりの良い一角に、マッサージベッドを見つけたのだった。
 それはちょっとした棺桶のようなしろもので、2メートルほどの箱だった。
 焦げ茶色の合成皮革に覆われていて、中が人型に窪んでいる。
 200円だったと記憶している。
 遊園地にある子供達の《乗り物》と同じで、何分稼働するかなどという表記はない。
 浴衣姿だったはずだから、小銭は帯同していない。
 おぼろげな記憶を辿ると、たしか精算カウンターで借りたのだったか。
 ロッカー番号を根拠として、そうするのが正当なシステムだったような気がする。
 ともあれ、200円を入れた僕は……いや、棺桶風味の箱に横たわってから僕は……それを試した。
 近頃のハイテクなものとは違い、20年以上前の当時にしても古風な揉まれ心地だった。
 タクシーのメーターが上がるタイミングを気にするような貧乏性が、邪魔をした。
「いつ止まっちゃうのかな……」
 耳にはステージで鳴っている「東京音頭」が入ってくる。
 閉じた瞼越しに、午後の日射しが入ってくる。
 どちらも暖色のイメージだった。
 目の前がふと暗くなり、反射的に目をあけた。
 少し色黒で、艶々した膚の女性がいた。
 おかっぱの髪が僕の顔に触れるほど、近くから覗き込んでいる。
「ああ、ごめんなさいね」
「いえ」
「寝てました?」
「いえ」
 その女性は浴衣ではなく、白っぽい地に細かい花柄がついたような薄いシャツを着ていた。
 次に目に入ったのは、彼女が腕に抱いている赤ちゃんだった。
 コーラ色をした熱い湯に浸かっているとき、キヨシローさんと思われる人が抱いていた子。
 今は大人しく眠っている。
 彼女……そのお母さんは、真剣な好奇心を露わにしているように僕には思われた。
「ねえ、それ、気持ちイイ?」
「えーっと……けっこうイイです」
「前から気になってたんだよ〜」

 古風なマッサージベッド。
 年取った按摩師が、最後の仕上げに軽く背中を叩くような調子で止まった。
 僕は縦のもとに戻り、
「キヨシローの奥さんに、話しかけられたぞ」と言った。
「アハハ」と、縦は取り合わない。
 僕らがいた座敷はステージから一番遠いところだった。
 さっきの女性は、僕らとステージのちょうど真ん中くらいで、赤ちゃんを抱いている。
「あの人だ」と僕は縦に、目で示した。
「アハハ」
 僕らは中瓶のビール(つまりは、小さいがいつも冷えているやつ)を互いに買ってきた。
 ひどくゆっくりしたペースで飲んだ。

 おかっぱの女性は赤ちゃんを抱いたまますっと立ち上がった。
 当時は僕もよく穿いていたような、ペッグトップのゆったりしたパンツを身につけていた。
 背が高い人だ。
 彼女が僕らの前を通り過ぎようとした時に、
「あの……」と僕は声をかけた。
「あ。さっきごめんね。結局、やらなかったよ。この子いるし」
「あの……キヨシロさんは?」
「仕事があるからって、すぐ行っちゃった。コーラだけ飲んでね」

 22歳の若僧というのは、気が利かないものである。
「かわいい赤ちゃんを抱いていてあげますから、僕の次にこのマッサージ箱にお入りになっては?」
 などと、言えたらよかったのに。
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2009年05月03日

寝GW

 ETCでの高速道路料金が安くなっての渋滞とか……?
 しかしニュースを見る限り、
「もっと渋滞してくれたら、絵になるのに」って、報道側が思っているような塩梅だ。
 1,000円だろうが7,000円だろうが、走らせなくてはいけない営業車もあるだろう。
 高速料金の多寡に関わらず、決まった帰省をする家族もあるだろう。
 だから、あんまりいい施策じゃないように思う。
 ここ武蔵野で、ETCはもとより車を持っていない者のひがみ?(^_^)
 ともあれ、東京から一人で運転して、弘前の満開の桜を見に来たというおばあさんのニュース。
 なんだか微笑ましかった。
 すごい桜だった。

 僕はと言えば、読書・昼寝・読書・宵寝・読書……、というような日々だ。
 電動雨戸は大好きなガジェットだが、僅かに隙間があって、そこから日の光の黄色が見える。
 角度を変えると、空の青さも見える。
 タオルケットにくるまって、頭の回りに伏せた文庫本を散らばらせている自分を省みる。
 特に理由もないのだが二階へ上がると、娘らが果物を食っている。
 長女が茶色いブドウを食っていて、次女がサクランボを食っている。
「ねえ、見てー」と次女が示すのは、茎が二つに分かれた、いわゆる「サクランボ」だ。
「うん、たまにあるよな。可愛いよな」とだけ言い、妻にコーヒーを淹れてくれるよう頼む。

 二面の雨戸を締め切り、エアコンは24時間入れっぱなしの自室は、混沌としている。
 取ったもの、使ったもの、着たもの、脱いだもの、開いた本、読んだ本……。
 僕の両腕を直径とした円が、あちこちぶつかっては弾けた軌跡だ。

 宇野浩二『苦の世界』、佐藤優『獄中記』、村上春樹『アンダーグラウンド』……。
 今、とりあえず、メガネをかけていない目に入ってくる本たち。
 矢作俊彦『リンゴォ・キッドの休日』、みうらじゅん『カリフォルニアの青いバカ』なんかも。
 週刊文春のGW特大号(いまいち面白くなかった)も床に落ちている。

 昨日は夕刻、決死の覚悟で家族と出かけた。
 土曜日なので快速で2駅の、中野だ。
 いつも行く焼鳥屋で食事してから、閉店間際の中野ブロードウェイに行った。
 たまにいくミリタリーグッズショップで、普段着に良さそうなカーゴパンツとポロシャツを入手。
 そこでやめとけばいいのに、バックルレスの革ベルトと、プロテクター入りキャップを買い、散財。

 夜半、忌野清志郎氏の訃報。
 亡くなったのは、2日の未明らしい。
 手持ちの音源とYouTubeで、キヨシローを聴く、観る。
 MIXIでも、ケロケロキングさんやA.e.Suckさんらが追悼している。
 両氏とも僕よりは年長だが、キヨシローさんという紐が、僕らの世代を括っていたのだと気づいた。

「いま『ヒッピーに捧ぐ』を聴いています」とエーサクさんに告げると、
「僕もちょうど聴いていました」と。
 ケロケロさんは、まだ受け入れたくないみたい。

 1988年頃、悪友の長島縦と麻布十番温泉に行った。
 コーラ色のキツい湯に浸かっていると、痩せた長髪の《オババ》が、赤ちゃんを抱いて入ってきた。
 赤ちゃんが泣き出したのにうろたえたオババは、浴場を飛び出していった。
「うわ、おい! 今の、キヨシローだぜ!!」と僕が言うと、
「またまたぁ」と縦。

 湯から上がり、畳の大広間に寝そべり、ビールを飲んでいた。
 ステージでは正真正銘のおばあさんたちの謡や踊りが繰り広げられている。
 僕は縁側みたいな日当たりのいい一角に(ここで電話……


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2009年05月02日

赤いスパゲッティ

 4月末から長女と一週間ほど二人暮らしだったのだ。
 朝は5時に起きて弁当と朝食を作る。
 もっとも、夜更かししたときには3時頃に仕込んでおけば、6時直前に起きても間に合う。
 娘は6時頃起きてきて顔を洗い、朝食を摂ってから7時頃出掛ける。
 主婦というか、お母さんというのは大変だなあと思うよ。

 こないだ、無性に「赤いスパゲッティ」が食いたくなった。
 思わず最寄りの「喫茶・軽食」でも検索しようかと思った。
 でも、いや待てよ、と。

 学校帰りに、
「これから帰ります。おつかいありますか」と娘からメールが来たので、
「トマトピューレを買ってきてくれ」
「それなに?」

 お勉強ばかりじゃいけない!
 日常や生活を知らないといけない!

 というわけで、赤いスパゲッティを作って食いました。
 んまかったです。

 相変わらず、書くほどのレシピでもないけど、自分のメモに……。
 たまに食いたくなりませんか?!
 赤いスパゲッティ……いわゆる、
「ナポリタン」って言うの?!

DSC_30851.JPG
写真は参考物件

【赤いスパゲッティのレシピ(いわゆる喫茶店風味)・2人分】

 スパゲッティ、200g

 にんにく1かけ、薄切り
 粗挽きソーセージ、4本
 ベーコン、3枚
 冷凍シーフード、適宜
 玉ねぎ(今は柔らかいやつが安く出ていますね)1/2個、薄切り
 ピーマン、1個、薄切り

 白ワイン(飲み残し)大さじ2ほど
 トマトピューレ150cc
 トマトケチャップ大さじ3

 スパゲッティをたっぷりの湯と塩で、長めに茹でる。

 フライパンにオイルを敷き、ニンニクを加えて炒め、香りを出す。
 ソーセージとベーコンとシーフード、および玉ねぎを加えて炒め、塩コショウする。
 火が通ったら白ワイン(もちろん、赤でもいい)を加える。
 ピューレとケチャップを加えて、弱火で煮込む感じ。
 ピーマンはこのとき加える。

 茹で上がったスパゲッティを湯切りし、フライパンへ。
 絡め合わせてから、オリーブオイルを一たらし。

 お好みの人は粉チーズやタバスコ・ペッパーソースを、好きなだけ。

(オリーブオイルなどかけない方が、喫茶店風だったと反省)
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2009年04月17日

ひじきとか

 気付けば前回の更新から、もう二ヶ月ほど経っていました。
 明け方に目覚めてしまったので、久々につれづれ書いてみます。

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 この二ヶ月は、なんだかぼんやりと過ごした気がします。
 娘らの春休みに合わせて札幌の家に帰省しましたが、椅子にあぐらをかいて文庫本や雑誌に没頭するという日常は、武蔵野にいるときと変わらず。
 少しばかり早寝早起きだったくらいのものです。

 実家……と言うと、自分が育った、今も親が住んでいる家を指すことがたいていですが、札幌の家はまさに私の実家です。
 4.5畳に満たない《書斎》には、2台の自転車が詰め込まれていて、きゅうきゅうですが、ドアを開けるとすぐそこに冷蔵庫とキッチンがあるのは便利です。
 居間とは天井が40センチくらい開いて繋がっているので、娘らやその友達の会話も聞こえ、やかましいというより、むしろ和みます。

 実家に戻って少し嬉しいのは、母の作る料理を口に出来ることです。
 少年の頃、カレイの煮付けなどが食卓に上ると、
「なんでいつもサカナなんだ!」などと不平を漏らしたものですが、バチ当たりな話。
 今では裏も表もヒレの先まで、丁寧に食う。
 分厚いマガレイやクロガシラなど、今やちょっと手が出ない価格で魚屋さんの店先にある。

 母が「炒り鶏」と呼んでいた濃い口の煮物などもそうです。
「なんでうちの食い物はいつも茶色なの!」などと言っていたものですが、これがうまい。
 で、昨日、母に電話しました。
 向こうもいろいろ話があるようでしたが、こちらの目的は例の「炒り鶏」の作り方です。
 なるほどそうだったのかという、思いがけず細かい手順を知りました。

 ところで、近頃の我が家では、カツオ出汁を取らない日はありません。
 味噌汁はもちろんのこと、そばつゆ、おでん、煮物……何にでも応用可能というか、必須です。
 ここは妻の担当になっていて、僕は、
「今日は、仕上がり600tで出汁をとっといて」と言うくらいです。
 妻は太っ腹というか経済観念がないというか、ほっとくとベッコウ色になるほど濃い出汁をとるので、場合によっては、
「仕上がり1リットル。ただし、濃さはいつもの半分で」などと、えらそうに指示します。

 昨夜のメニューは、ひじきの煮物とざるそば、のつもりでした。
 800tの濃い出汁を頼んでおいた。

 武蔵野の家では一日に30分間いるかいないかの2階へ行くと、妻がカボチャを煮ている。
 実はその前に、ガツ! ガツ! と怖い音がしていたので、
「あ〜、これはカボチャでも割っているな」と階下で覚っていたのです。
 カボチャ煮は妻の専任で、僕は滅多に口にしないが、味を見てみるとまあ、悪くはないのです。
「予定の出汁が足り無くなってないか?」と問うと、別途の出汁で作ったとのこと。
 無駄なことだなあ。

「ひじき、お願いね」と言われたので、
「ニンジンを入れたいなら、薄切りやっといて」と言いました。
 すっかり、料理長気取りです。

 先日、快晴の日に、もう遅ればせながらの花見に誘われ、妻と二人で井の頭公園へ行きました。
 月曜日の昼下がりでしたが、あまたあるベンチはほとんど全て埋まっていた。
 妻が準備してあったシートを使い、小さい子供らの遊具がある一角に陣取った。
 途中で買っていった弁当や総菜を開いたのでした。
 目の前の滑り台を、身長100センチにも満たないほどの子供らが、繰り返し繰り返し滑っている。
 どの子も、可愛らしかった。
 武蔵野市の行政が何を考えてか、斜面が30度にも及ばない緩い滑り台は、渋滞していた。
 そのくせ上りの階段は、見ているこっちがハラハラするほど急なのですが。

 僕のヒレカツを狙ってか、カラスが周囲に十数匹集まってきたのは怖いと言うより、いまいましかった。
 エアガンでも持ってきたらよかったのにと思うくらいだ。
 しかし、そんなものをブッ放すと、ひんしゅくを買うのは僕だろう。

「カラスは揚げ物が大好きなんだよ」と妻が言う。
 初め半信半疑でしたが、カツを食い終わると全ていなくなったことから、肯定せざるを得ない。
 やつらは鳴き声で呼び交わし、フライドチキンを囲んでいる女性達のグループを取り囲んでいた。

 僕らがいくつか買った総菜のうち、セリのゴマ和えはまあまあだったのですが、ひじきはどうもいただけない。
 妻が、
「階下(した)のお義母さんのひじきが一番おいしいんだよね」と言うので、
「あれよりうまく作れるぜ」と言ったのでした。

 で、作った。
 ひじきの煮物……うまくいきました。
 会心の出来だった!

 誰しもそれぞれの「おふくろの味」があるでしょうが、僕が作った「おやじの味」のレシピを、メモのつもりで書いておこうっと。


【ひじきの煮物】(1鍋分)

 乾燥ひじき(今日使ったのは、40g入りの小袋。ただし、かなり増える)
 カツオ出汁(300t)
 濃い口醤油(大さじ3)
 酒(大さじ2)
 ザラメ(大さじ1くらい?)
 大豆(横着して、水煮の缶詰を使った。乾物の豆を戻せば、ずっとうまいでしょう)
 にんじん(薄切りに)
 油揚げ(熱湯をかけてから細切りにする。料理に油は使うとはいえ、油揚げ表面の油は酸化しているだろうから、いちど落とす)
 油(大さじ1。今日は紫蘇油を使ったが、白絞油でもいい。サラダ油でも、もちろんいい)

 ひじきは、ぬるい水で10分で戻る(膨らむ)。
 ざるで漉すと、ゴミや茶色い水が出る。
 再び新たな水に浸す。
 思うに、何度洗ってもいいと思う。
(ゴミは尽きないし、ひじきはさほど味が抜ける海藻ではないようだ)。
 昨日は40分くらい浸けた。

 鍋に油を入れて、ニンジン、大豆、ひじきを焦がさないように炒める。
 炒めると言うより、油を回す感じで。
 ここだけがオイリーなので省きたいところだが、そうすると何故か、コクが出ないのです。

 出汁を加えて火を強め、まずは強火で沸かす。
 軽くアクが出るので、さっと掬います。

 沸かせたまま酒を入れて煮きり(アルコール分を飛ばし)、火を弱めてから醤油を加える。
 辛党ならこれでいいのだろうけど、やはり甘みが欲しい。
 ザラメを小さじ1ずつ加え、味を見る。
(昨夜は小さじ2で妻に意見を求めたが、「もう少しだけ甘く」で、結局小さじ3=大さじ1になった)

 少し煮詰めたいので蓋はせず、落とし蓋をしてとろ火で煮る。
 10分も煮たら充分じゃないかな。
 火を止めてから、仕上げに、小さじ1くらいの醤油をかけ回すと香りがいい。

 我が家でのポイントは、

1.白砂糖は使わない。
  説明は難しいが、上白糖とザラメでは、味の爽やかさが違う。
  ザラメはかなりキレがよい。

2.味醂を使わない。
  味醂は化学調味料ではないし、甘みと旨味のあるものだ。
  しかし、素材の味を圧迫する。

 今さらながらの「ひじき煮」……
 それぞれの家庭の味があると思いますので、上記はただの参考までに。
posted by TAKAGISM at 04:34| Comment(4) | 日常

2009年02月21日

その後の梅

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これは京都は北野天満宮境内の早咲きの梅

 ブログの更新があまりなくて、すみませんでした……と詫びることもないのかも知れないけれど、やはりたまに覗いて下さっている方々がいるのに、あまりに気まぐれはいけないですよね。

 更新不足に深い意味はないのですが、ここのところ地元、というよりむしろ家に籠もっていることが多かったりして、マンネリズムに陥っていました。
 とはいえ、一月の終わりから二月にかけて、家族で三泊四日の京都旅行へ行って来て、多くの写真も撮ったのですが、まあ、京都や奈良でシロウトが撮れる写真などは絶対に絵はがきを超えられるわけもなく、紹介には及びません。
 飲み食いしたものや、家族のくだらないスナップなどは、これまた近頃気まぐれなブログを更新している妻に先手を譲ってやっているうちに、時が経ってしまったわけです。

 そんなわけで、いくつか、特に我が家の梅の盆栽に寄せられたコメントなどにもついさっき気付いた次第で、せっかくのコメントをいただいておきながら、公開が遅くなり、とても申し訳なく思っています。

 その梅なのですが、ちょっとドキっとすることがありました。
 というのも、深大寺でもとめた「思いのまま」という品種は、開花が早いと聞き、短気な我々夫婦はそれを楽しみに選んだのでしたが、置き場所があまり良くなかった。
 食卓の側、日当たりのいい出窓に置いたその盆栽、日光はともかく、エアコンの暖風がちょうど当たる場所でもあったのです。
 そのため思いがけず早い開花に喜んでいたのもつかの間、水やりは忘れていなかったのですが、花はたちまちにしぼんでしまいました。
 小枝もなにか乾いた様子なので、緊急事態を感じて、我が家で一番寒い玄関の、靴箱の上に移動しました。
 もう今年は、この鉢では花が見られないなとは諦めましたが、どうにも枝が心配で、ある日、外に移しました。

 うちでは、庭とも呼べないほどですが、何本かの木の植わった花壇のようなものが路地に面していて、昨年の春などはそこで「みつまた」(とこのブログの訪問者の方から教わることができた)などがなんとも面白い花を咲かせ、すでに今年もその兆しが見え、私が仕事場にしている部屋からは、立ち止まる人たちの姿をしばしば見ることができるのですが、その庭的部分に梅の盆栽を置きました。
 良い天気は大好きなのですが、どうにか自然の一雨が降ってくれないかと思っていた先日、梅の小枝も、幹も、はみ出した根や、それに絡んだ苔などにも湿りがもらえ、今日見ると、うっすら褐色がかり、艶を失っていた枝が、緑に光っている。
 どうやら梅は、死なずに済んだようです。

 少し恥ずかしいのは、その梅が青い磁器の鉢ごとポロンと置かれていることと、小さなプラスチックの札に「思いのまま」と書かれていることです。
 この庭風スペースには、大家さんであるところのおばあさんが、樹木ごとに「なにがし」「なにがし」と……今まるで思い出せないのですが、手書きの札を刺していてくれていて、文字が消えかかったその風情が悪くないと僕は思っていました。
 しかし、新参の梅盆栽のだけは、奉行所が町に立てる高札のようなデザインの真っ白なプラスチックに、未だ黒々としたマジックインキで「思いのまま」とあるのです。
 そんなこと誰も気にしやしないのでしょうが、僕としてはなんだか、この鉢ごと思いのままにしてちょうだいと声高に言っているような気になり、まだ落ち着かない。

 大きな桜が咲かない北海道出身ということもあり、花見の宴会などにはあまり興味のない僕ですが、吟味して買い、手にぶら下げてきた梅には愛着が湧いている、そんなつまらぬ話でした。

 京都は北野天満宮で早咲きしていた梅の花の写真を載せて、ちょいとお茶を濁すことにします。

 ではまた。
posted by TAKAGISM at 01:20| Comment(5) | 日常

2009年01月23日

梅咲けり

 先日買ってきた梅の盆栽が、室内の温気のせいだろう、蕾を膨らませたと思っていたら、一気に咲き始めた。
 いろいろ見たうえで「思いのまま」という品種を選んだのは、様々な色の花が咲くからということだったが、全て淡い桃色(梅なのに桃というのもヘンだが)のようだ。
 怖いくらい真っ赤な紅梅が咲いている鉢もあったが、あれが気になる。
 普段、植物にはあまり気を払わない僕だが、梅にはなぜか心惹かれる。

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posted by TAKAGISM at 22:59| Comment(6) | 日常

2008年12月18日

囲んでいただきました

 契約事務所のエージェント、テイ・リュー女史が、
「タカギさんを囲む会をやります」と言ってくれた。
 非常に恐れ多く、面映ゆいことだ。
 が、いい歳をして、照れて辞退というのもしらける話なので、
「よしなにお願いします」と答えた。

 今年、知り合ったりお世話になった方々との忘年会である。
 年の瀬も近づき、様々な都合の中、多くの知人――というより、日頃、俺がお世話になっている人たちが集まってくれることになった。
 場所は神楽坂の某店とのこと。

 ちょうど神楽坂に用があるという妻と、特に用は無いはずの娘を伴って出かけた。
 ほんとは飯田橋が互いに便利なのだが、天気もいいし、歩いてみようかということで、東西線神楽坂駅で下車。
 駅から坂下までは、意外に遠いのだと改めて気づいた。

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 暖かい日だった。
 空気の澄んだ夕暮れだった。
 坂を下ったところで、妻と娘はどこやらの店へ。
 テイ・リューの事務所は、そこから徒歩1分だ。
 小一時間ほど打ち合わせをし、テイ・リューに伴われて会場へ。

 今年とてもお世話になった、サンマーク出版の高橋編集長。
 敏腕編集者の白鳥夕子さん。
 テイ・リューのボスである、鬼塚社長。
 テイ・リュー。
 スージー・フルーツ代表、スージー・アッシュさん。
 星雲出版の横浜さん。
 虫カゴの白石さん。
 ヴィジュアル・クリップの有さん。
 歌舞伎町には二度と戻れない長島縦が、都内某所から。

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 縦はスージーさんから、
「縦さんを囲む会をやりたいの。美女がかなり来るわよ」と言われ、
うれしそうだった。

 和やかな、楽しい会だった。

 飯田橋と新宿でそれぞれに別れ、地元吉祥寺に5人で漂着し、深夜バーで飲んだ。

 白鳥さんと白石さんは、おおむね同じ方面。
 テイさんと有さんと三人で《富士そば》へ行き(てか、俺が強制連行)、最終解散。

 結局あまり話せなかったのは星雲の横浜さんで、それが心残りだったけど。 
posted by TAKAGISM at 23:59| Comment(0) | 日常

2008年12月17日

たらちりった

 毎日かよ、って感じだけど、飽きない。

 白菜、水菜、しらたき、焼き豆腐、しいたけ……んで、タラ。
 しらたきと焼き豆腐、うまいのを見つけた。

 今日のタラは、妙に身幅が大きかった。
 やっぱり、生より塩タラが好みだ(ってか、安いし)。

 あ、油揚げも入れたのだった。
 これもなかなか、うまい。

 漬けタレは、鰹出汁に醤油とみりん。
 みりんは不本意だけど。

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posted by TAKAGISM at 00:37| Comment(0) | 日常

2008年12月16日

たらちり

 昨夜はたらちりにした。

 土鍋にこんぶを敷き、白菜、糸こんにゃく、きのこ、などを敷き詰め、タラの切り身(生のはずいぶん高いけど、幸い塩タラが好み。熱湯をかけ回して汚れを取っておく)と焼き豆腐を載せる。
 しかるのちに、これまた熱湯を土鍋に注いで火にかける。

 タラと焼き豆腐には、あまり火を通しすぎないほうがいいようだ。

 一方で、濃いカツオ出汁に濃い口醤油で味付けしたつけ汁を用意する。
 鍋の水気で薄まるので、後で2回くらいは追加できる量に。

 今日も水菜と糸こんにゃくを買ってきた。
 タラと豆腐があれば、またたらちりになってしまいそうだ。

 ホッケの干物という道もあるし、タラコも常備しているが、気分はやはり鍋。
 こういう食い物がいいとは、歳を取ったもんだ。

 年内に焼肉を食うスケジュールは、ないなあ。
posted by TAKAGISM at 16:18| Comment(3) | 日常