2010年10月25日

レイキュウの話【003】

 高校時代の漢文の教師が、授業の合間にふともらしたのだ。

 そういう話に独特の「覚えているやつはずっと覚えている」が「聞いた覚えのないやつは興味すらない」状態で、その後何度か、同窓生の間で話題にしたこともある。

「レイキュウが欲しいよ」だとか「まえ、もしかしてレイキュウ、ゲットしたべ」とかいった具合に。

 しかし、その国語教師も、

「この話は忘れてくれ。古来、レイキュウに関わることは、呪いにかかることだとも言われている」と、冗談めかした口調で言った。「あることを《知って》いて、そのうえで《それはない》と否定することは、ひとつの教養なんだな」

 とても含みのあるひとことだったが、それ以上をその教師が知っていたとは思えない。

 ちなみに、その漢文の先生は、僕らが卒業するその一週間前に、不慮の死を遂げた。

 そんなこともあって、当時の《国語少年》だった同級生どうしでも、レイキュウについては話し合うこともなく、どうしても話題にしたいときには、

「あの中国のアレ」とか「すごい果物」だとか、婉曲に言ったものだ。

 否定しつつ認めたかった井下さんも、言下にその存在を否定したサンチョも、そういう意味では、レイキュウに関しては俺と同じ教養があるわけだ。

 そこを共有していない人に、あまりガンガンとやられることは、小さな子に、

「ねえ、赤ちゃんってどこから生まれてくるの?」と聞かれるような、気まずいことでもある。

 あるいは、

「知ってる? 911事件って、ブッシュ政権の自作自演だったんだって!」と、真顔で言われるようなことでもある。

 もっと言うと、

「芸能界って、結局のところ、ヤクザが動かしてるんだよ」などと、したり顔で言われるようなことだったり。

 あれ? 違うか。

 ともかく、何か赤いカクテルを飲みながら、愛子は、

「さて、そろそろ語ってもらいますよ」と言ったんだった。

 こちらには少々、不満がある。

 彼女にそこまで強気に出られる理由はないのだ。

 ひとにものを聞きたいなら、それなりの聞き方があるだろう。

 まして、レイキュウなんていう、あまり話したくもないものについてなら、なおさら。

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2010年10月24日

レイキュウの話【002】

 俺は《レイキュウ》について、素朴な知識はあったので、

「あとで教えてやるよ」と愛子に言った。

「あとで? なんであとでなの? そんなやばいものなの?」

 愛子は周囲を見回したが、井上さんもパンチョも衆民も、どことなく伏し目がち。

 焼肉をワリカンにし、ガムをもらって店を出た。

 衆民が、いつものように、本気とも社交辞令ともつかない口調で、

「もういっけん、飲みにいく?」と言うが、なんとなく誰も乗らない。

 渋谷の大交差点で別れた。俺は井下さんといっしょだ。

「あれだね……林衆民さんは、あながち冗談を言ってないね」

「え?」

「わたしも聞いたことあるのよ。台湾のね、山の方に、レイキュウがあるって話はね」

「それですか」

「あれは、あるね。そりゃ、台湾に行けば、あるわな」と、井下さんは独り言を言っているのだが、渋谷駅の真ん前の雑踏でのことだから、俺に《聞かせる》ための独り言も、大きい声になる。

 何口って言うんだろう。ガードのそばの小さな改札のあたりが、死ぬほどドブ臭く、そのあたりで働く人が気の毒になる。

「いずれにせよ、誰も彼も、長くはないってことで」と井下さん。

「辞めるんですか?」

「いやあ、わたしは、自分からは辞めないよ。あんたも辞めちゃいかんよ」

 ここで、俺のケータイが鳴った。愛子だ。

 井下さんは、猫背を丸め、右手を高く上げて、湘南ライナーのホームへ向かった。

「どこですか〜?」と愛子。

「JR渋谷だけど。愛子はどこへ消えたんだ?」

「あたしもまだハチ公のあたりなんですけど〜。ほれ、さっきの話が気になって」

「何が?」と、とぼけてみた。

「や〜だ〜。てか、サンチョさんもリンさんも、帰っちゃいましたよ?」

「そっか」

「やめてくださいよ〜、も〜」

「何を?」

「教えてやるって言ったじゃないですか〜。レイキュウ。何なんですか? あたし、マジ聞いてますから」

 とりあえず、山手線内回りのホームで落ち合うことにした。

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レイキュウの話【001】

 目の前にあるこの不細工な果実が、それのために、人がいがみ合ったり傷つけ合ったり、ついには殺し合ったりするようなものだとは、とても思えないんだよね。

 だけれど実際、井下さんが死んだのには、これが遠因になっていると言えるし、あれはただ死んだというより、殺されたというほうがあたっている。

 サンチョはあれっきり姿を消しているし、愛子もどこにいるかわからない。

 会社がひとつ潰れ、職を失った人も数多い。

 職を失えば、離散する家族もいるわけで、そうすると、どれだけ多くの人にこの果実が迷惑を及ぼしたか、その結果は、そう簡単には計算できないのではないか。

 それがなぜだかけっきょく、俺のてもとにある。手の中にある。厳密にいうと、手の中にあったそれをテーブルに置き、俺はこうしてMacのキーを打っているわけだが。

 きっかけは、林衆民(りん・しゅうみん)だ。

 台湾出身のこの男が、焼肉屋の個室で、ついうっかり、

「ぼくのじいちゃんの持っている山に、レイキュウができるよ」と言ったのが発端だ。

 山ほど焼いて食った安物の肉もみんなが飽きてきた頃、一番奥の席から、そう言い放った。

「いま、何て言ったの?」と井下さん。

「レイキュウ」

「うそだそれあ。わるいけどうそ。ありえない」と、当年五十九歳、経理会計畑一筋の唯物論者、井下さんは言った。

「レイキュウは、ま、ないでしょう」と、肉をほおばり続けながら、サンチョが言った。

「レイキュウって何? なんなのよ」と言ったのは愛子だ。

 誰も答えない。

「でも、実際にあるから、オレは、あると言ったんだよ」と林衆民が言う。

 しばらく沈黙が流れた。

 場が、しらけたムードになった。

「まあ、そう、思うなら、思ってくださいよ。オレはじいちゃんからそう聞いたし、見たこともあるんだもん」と衆民は少し不平そうな口ぶりで。「ま、この話はやめようよ。台湾でもそうなんだよ。レイキュウの話が出ると、ヘンな感じになる」

「だからそれ、何なのよ」と、すでに箸を置いてひさしい愛子が、皆に向かって言う。

 誰も答えない。

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